※訪問は2024年10月10日
定時のダイヤだと行けないが
例によって時刻表である

今は信濃森上駅にいる。8時5分でやって来た。上りも下りも2時間以上ない。私が行こうとしているのは南小谷方面だが、それは3時間以上も後。本来なら完全に行き詰まってしまうところだが、この時は強い味方があった

こちらは先に2度にわたって記事にした大糸線増便バス。先に記事化したのは2025年3月までの運行とされていたためだ。そして1カ月の間に2度も大糸線へと出かけたのは、このバスがあるうちに各駅訪問を済ませないと白馬以北の駅で苦戦することが分かっていたからだ。なお4月からも週末を中心とした運行でバスは維持されているが、コースは大幅に変わっており、現在は白馬~南小谷の駅には停車しないので、今は使用できない。

8時34分に乗車する
昭和40年代のコンクリ駅舎

バスがやって来た。1カ月ぶりの乗車だが、私はわずか6分で到着する白馬大池駅で下車する。前回で勝手が分かったので、乗車時にきっぷを見せて「白馬大池まで」と告げる。JR西日本が運行するバスでありながらもJR東日本の区間のみの乗車である。ここ信濃森上からの乗車も白馬大池での下車も私一人である
そして下車した所で待っていたのは

いかにもかつての国鉄コンクリ駅舎のたたずまいを持つ白馬大池駅。重厚な駅舎だ。大糸線のJR東日本で昭和30~40年代のコンクリ駅舎を持つ駅は当駅のみしかない。JR西日本区間も平岩駅のみだ
駅名の由来は標高2300メートルの湖
国鉄によって建設された信濃大町~中土の大糸南線は1935年(昭和10)に開通したが、その際に信濃森上~南小谷には8・5キロにもわたって駅はなかった。戦後間もない1947年に当駅が仮乗降場として開業。翌年に正式駅となった(もうひとつの千国駅はさらに後)。当初は地元の地名である川内に基づいて「川内下」という駅名だったが、正式駅になる際、もっと知名度のある駅名にということで現駅名になった。ただ北アルプスの標高2300メートルにもある火山活動による湖は駅からは遠すぎる
ちょっと最寄りとは言えない場所にあり、湖まで車では行けない。軽装ではホイホイ行ける場所ではない。ただし地図で分かるように栂池(つがいけ)高原そしてスキー場はまさに最寄りで

駅前の案内図でもそれは一目で分かる。駅名も栂池もしくは栂池高原という駅名にすれば、難読も相まって知名度はさらに上がったと思われるが、戦後わずか3年の1948年の時点ではスキーやレジャーという発想はない(ロープウェイの駅名は「栂池高原」となっている)
転機が訪れたのは1967年の信濃森上~南小谷の電化だった。前記事で1960年に信濃大町から信濃森上までが電化された際には、栂池高原スキー場は現在の規模のものとなっていた。ならばスキーそして夏の高原レジャーも含め、当駅を拠点駅にしようということで現在の駅舎が建てられた。だから国鉄コンクリ駅舎なのだ。ここでも1時間半以上の待ち時間があるので駅と周辺をゆっくり見ることにしよう


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