※訪問は2024年11月20日

有人の東員町の代表駅も開業は2005年

東員駅に到着。私が乗車した電車は当駅止まりで、この後は車庫に入る

車庫があり、運転司令をつかさどる、いわば北勢線の中枢駅で立派な駅舎を備える終日の有人駅。町役場の最寄りでもあり、東員町の代表駅。だが駅名や施設から想像されるものとは異なり、駅の開業は2005年と近鉄から三岐鉄道への移管後。110年もの歴史を有する北勢線で、どういったことなのかと思ってしまうが、実はこの駅こそが新しい北勢線を象徴する存在なのだ

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廃線寸前からの存続

北勢線は1914年(大正3)に大山田(現西桑名)~楚原が開業したのを皮切りに徐々に延伸され、最後の1区間は難工事だったものの、1931年(昭和6)に全線が開業。と同時に電化された。ナローゲージの方式が今も続くのは、業績が好調だったこと、総路線が約20キロと短い上に独立した路線だったからである

森林鉄道も含めると全国に数百もあったとされる軽便鉄道は徐々に姿を消していったが、北勢線は戦争もくぐり抜け、戦時中の統合で三重交通の傘下に入り、その後、近鉄の一部となった。だが、例によってモータリゼーションの波には勝てず業績は悪化。近鉄は2000年になって廃線を打ち出し、一度はほぼ既成化したかのようになったが、沿線自治体が存続を決定。三セク化には時間とノウハウがないことから三岐鉄道に運行を依頼。その際に土地は自治体が所有。三岐鉄道は車両や線路、駅舎といった鉄道施設を所有することになった

移管にあたって課題とされたのがパーク&ライドの拡充。大正期からの各駅は簡素な構造のものも多く、駅前に車が乗り入れるのもやっと、という形だったが、駅の統廃合を進め、新たに設置された駅は駐車場を充実させることに。前記事で取り上げた穴太駅は同じ場所で規模の大きな駐車場を設置できた珍しい例だ(ホームを従来とは逆側に移し、駐車場を設けられる側にした)

そして東員駅。北大社(きたおおやしろ)駅と六把野(ろっぱの)駅を統合して新設された。西桑名駅の記事でも触れたが、北大社は車庫のある駅で現在は信号場となっているが、東員駅は車庫も備えた形の駅となったわけで、西桑名にあった司令室も引っ越し。乗務員の宿泊所も設けられ、文字通り北勢線の中枢駅となった。ホームは北勢線の多くの駅で採用されているバリアフリー形式

このため当駅には終日、駅員さんがいる

駅の設置理由は

東員駅が現在地に設置されたのは町役場の最寄りだったため。以前から役場の近くに駅を設置する計画はあったそうだ

こちらが駅の全景。かなりの規模である。広いロータリーを持ち駐車場も140台分が確保されている

こちらは東員町のコミュニティーバス停留所。北勢中央公園口駅とは三岐線の駅

駅の北側は住宅街で、南側にはコスモス畑が広がる

楚原れんげさんに見送られて次の駅へと向かう

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