須原駅の駅名標

※訪問は2024年8月7日

お出迎えは貨物列車

大桑駅の次は隣駅の須原駅へ。ここで待っていたものは

待機中の貨物列車だった。須原駅近辺は単線区間になっていて、ここでの待避が行われるようだ。私は貨物列車の方は全くもって無知な方だが、基礎的なことはなんとなくだが理解しているつもりである。これは中央東線も含めてのことだが、中央本線は長野県、山梨県への石油輸送が盛んな路線となっている。特に冬季は石油への需要がグンと上がる。中央西線の石油輸送は四日市からはるばるの輸送で、行先は貨物ターミナルを備えた南松本駅である。ローカル路線(中央本線という大幹線だが、この付近はそんなイメージなので、そう呼ばせてもらう)の駅にある留置線というのは「一体何に使うのだろう?」と思ってしまうことが多いが、このように動いている車両を見ると、ちょっとうれしくなったりする

保線車と貨物列車に挟まれた島式ホームで下車し、駅舎へと向かう

当駅も小さな階段から駅舎へと向かう。正面に今は自由に通り抜けができる木製の改札があるが、かつては臨時改札だったのだろうか

駅舎を抜けて外に出る。こちらも中央西線らしい木造駅舎だ。丸ポストは景観に配慮したものだろう

歴史を繰り返した須原宿

駅舎に掲げられている年季の入った駅名板。かなりクラシックなものだが、中央西線の駅の駅名板は地元特産の木に達筆で書かれたものが多いので、この体裁はある意味異彩を放っている

ただ駅名板とは異なり、駅舎についてはいつからのものかは分かる

当駅は1909年(明治42)の開業。財産票にも記されている。中央西線が名古屋方面から順次延伸され、野尻から須原までがつながった。当時は大桑駅はないので1区間のみの延伸だが、明治期の山中の工事なので進んだ順に開業したようだ。約1年間、終着駅だったが、翌年に上松駅まで延伸された(これも当時は1区間である)ことで途中駅となった。そういえば、中央東線(当時)が塩尻から奈良井まで延伸されたのも1909年で12月1日と同日の開業。中央本線の全線開業まで、今風に言えばリーチがかかった状態だったのだろう(全線開業は2年後)

前記事の大桑駅の項でも紹介したが須原駅は須原宿に基づく。駅の位置は地図で分かる通り、旧宿場町の北の端にある

須原宿は室町時代に築かれた須原城を中心にした城下町としてスタートし、戦国時代に須原宿として整備された。大桑村HPによると「木曽谷の中ででは一番古くに栄えた歴史ある宿場町」だという。ただし江戸時代の1715年に発生した木曽川のはん濫により1717年に高台にある現在の位置に移動。さらに幕末の1866年には一帯で大火事が起きたため、建物の多くは明治期以降という他の宿場町とは、やや異なる趣となっているそうだ

大桑駅と同じく当駅にも観光案内の写真集がある

そして駅舎内。ちょっと驚いたのだが、手荷物受付が塞がれているのはよくあるパターンとしても、きっぷ販売の窓口が2つもある。最初の写真の臨時改札といい、往時のにぎわいが想像できる。ただ訪問時に簡易委託だった当駅は大桑駅と同じく9月いっぱいで無人化されている。おそらく今はカーテンのかかった窓口が2つ並んでいるはずである

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