※訪問は2024年8月27日
時刻表を見て思いつく
かなり激しい雨の降る名寄駅
話はこの続きとなる。JR北海道産手配の代行タクシーで抜海から160キロ、2時間半かけて名寄までたどり着いた。いろいろな予定がゼロになってしまったが、まずは名寄までたどり着けたことに感謝である。名寄から旭川方面へは列車も動いているようだし、名寄まで来れば旭川までバスという手段もある
といっても時間はまだ9時半。抜海駅到着が5時半だったのでタクシーで2時間半揺られてもこんな時間なのだが、ふと我に返ると「この後何をしよう」となる。本日の宿は旭川に確保してあるが、時間はまだまだある。この後、10時8分の旭川行き快速に乗車して旭川着が11時28分。正午にもならない。いずれにせよ乗るしかないのだが、時刻表を見てふと思いついたことがある
塩狩駅で降りてみよう
小説や映画にもなった塩狩峠で有名な塩狩駅。宗谷本線は名寄を境に運行本数が大きく変わるが、比較的本数が多い名寄~旭川でも快速「なよろ」が停車する駅としない駅では事情が異なる。名寄を基準にすると旭川へは1日8本の普通と4本の快速があるが、普通のみしか停車しない駅は何時間も列車が来ないため、救済で部分停車を行っている。その部分停車がこれから乗ろうとしている快速にあった。塩狩である。以前も行こうとしたが、ここに行くと他の駅に行けなくなってしまうと断念したことがあった(もうひとつ理由があるが、それは後述)が、これはある意味好機である。というのは1時間後に旭川行きの普通があるからだ。現地で1時間というのは、ちょうど良い
念のためにと塩狩はほとんど普通しか停車しない認識があるので、運転士さんに停車するかどうかわざわざ確認。実は、この確認作業で席を立ったことが、かつての社友に会えたという偶然も引き起こした
塩狩までは50分。その間は社友との会話に終始していたため、時間はすぐに過ぎ去った
そして到着。幸運にも雨はもう上がっていた。当然ながら満員の列車から降りる人は他にいない
北海道でよく見かける形でホームは千鳥状に配置されていて構内踏切がある。通過列車が多いためか、警報器も遮断機もある
当駅は1916年(大正5)に山中の塩狩信号場としてスタートした。今もそうだが、特にSLの時代は坂が最大の敵だったので、峠にはよく信号場が設けられた。その8年後に正式駅に昇格した。だから今年でちょうど100歳となる
ホームからは周囲に何も見当たらないので駅舎は、それこそポツンと一軒家である
立派な駅名板は、まるで家の表札だ
こちらが時刻表。訪問の難易度は意外と高いことが分かる。上り下りが同時刻なのは列車交換なので使えない。私は10時57分に到着して11時58分で去る。これを逃すと悲惨で次は17時19分と5時間以上の待ち時間(名寄行きが13時8分に来るが)となってしまう
旭川側から来て折り返すには1時間ぐらいの滞在だと考えると6時44分に着いて7時36分で戻るか、17時19分に着いて18時16分で折り返す-の二択となってしまうが、後者は季節によっては真っ暗だ。2時間以上の滞在ならあと2つほど方法はあるが、とにかく難易度は高い。ただし名寄側からを考えると、この日の私の利用ダイヤは、日照時間を考慮しても1日で最も理想の時間帯となる(名寄方面へ抜けてしまうのなら13時8分に着いて14時40分で去るという手段もある)
全くの偶然ながら見つけられた1時間。しかもお昼の時間。それを利用してぜひ行きたいところがあった(1カ所しかないのだけれど)
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