鹿島駅の駅名標

※訪問は2024年7月3日

原ノ町到着でひと安心

原ノ町に到着。浪江駅の項でも書いたが、常磐線は長年交通の要衝であり続ける当駅を境に運行本数が大きく変わる。昼間の普通列車は広野~原ノ町は2時間空きや3時間空きになってしまうが、原ノ町から仙台方面は昼間も1時間に1本程度は確保されていて、どうも最近、時刻表の読み間違えが多い私もここまで来れば「あっ!」となっても修正が可能だろう

と同時に普通は必ず原ノ町での乗り継ぎが必要となる。いわきを早朝に出てから、随分と長い時間が経っている気がするが、時間はまだ朝の9時すぎ。今日は下手すると仙台までかとも思ったが、もう少し先まで行けそうだ

原ノ町では30分以上の乗り換え時間があり、仙台行きに乗り込むと、お隣の駅を通りかかった際、古い駅名標がチラリと見えた。「お~」と思っているうちに電車の扉は閉まってしまったが、時間もまだ早いことだし、ここは出直しだろう

ここは戻って確認

ということで鹿島に到着

まずは先ほどチラリと見えた駅名標を改札口で確認。これはなかなかの年代ものだ。古い駅名標がそのまま設置されている駅を全国各地で、思い出したように見かけるのだが、こういうのって、どんなモチベーションというか理由で残るのか、知りたいものだ

平成の大合併により、現在は南相馬市鹿島区となっているが、それ以前は鹿島町。もちろん駅名も町名に基づく

鹿島といえば、サッカーで有名な茨城県の鹿嶋市が有名だが、JR鹿島線、鹿島臨海鉄道という路線はあるものの「鹿島」という駅はない。鹿島神宮駅をはじめ「鹿島○○」という駅はいくつもあるが、単独であるのは路線名だけ

鹿嶋市は1995年(平成7)に鹿島町から市になったが(つまり明治以来、鹿島町は茨城にも福島にも存在していた)、市制施行の際、佐賀県に鹿島市があったため、重複を避けるため「嶋」の文字を使用することになり、当時はかなり話題になった

そして佐賀県鹿島市にあるのは西九州新幹線建設の際に話題となった「肥前鹿島」駅である。福島県の鹿島駅が明治生まれだったのに対し、こちらは昭和一ケタの開業。この時期は全国で駅名の重複をできるだけ避けるようになっていたので、先頭に旧国名がついた(ちなみに開業当時は佐賀県鹿島町だった)

また東北本線には鹿島台駅(宮城県)があり、鹿島駅より歴史は古いが、こちらは元々の自治体名が鹿島台である

話が茨城県から佐賀県そして宮城県まで飛んでしまったが、要は「鹿島駅」はここだけである

古典の宝庫

鹿島駅の開業は1898年(明治31)。周辺は旧鹿島町の中心部となっている

駅舎はおそらく開業時からの木造駅舎

なぜそのように考えたのかというと、あまりにも渋い財産票が残っていたからだ

この財産票そのものが財産ではないかと思えるほど古いもので「M30」と記されているというより、刻まれている。駅の開業より少し前に駅舎ができたということなのだろう。駅の財産票についてはJR各社で姿勢が異なり、JR東海では簡易駅舎はもちろん倉庫やお手洗いにも細かく張ってあり、JR西日本もなかなか頑張っているが、私見ではJR東日本は探すのに苦戦することが多い。ただその分、このようなクラシックな財産票にまれに巡り会えることもある

屋根に乗っかっている駅名板も明治のものとは言わないまでも国鉄仕様。駅そのものが古典の宝庫となっている

駅は2面2線。かつては貨物の取り扱いがあった雰囲気が残る

現在は無人駅で窓口は閉ざされているが、原ノ町のお隣にこんな素敵な場所があるとは知らなかった。こんな気ままな旅だからの発見である

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