※訪問は2023年9月10日
ひらがなだと一層気分が
やって来たのは高儀駅。お察しの通り「たかぎ」駅で、今回の訪問ではまず時刻表チェックから始めた
私が知る限り、「高木駅」は日本でひとつしかない
福塩線の高木駅(広島県)で、これは年明けの1月10日に3年ぶりに訪れたもの
もうひとつ、身近なところ、神戸のお隣の三木市にも、ついこの間まで高木駅はあった
三木鉄道の高木駅。国鉄三木線が三セク三木鉄道に転換されたものの、2008年に廃線となった。こうして見ると普通の道路にしか見えないが、駅の跡地であることを教えてくれる案内板があるので往時をしのぶことができる(訪問は2019年11月)
三セク転換後に設置され、約20年の存在だった
そして今回の「高儀駅」である。城端線の訪問は急きょ決めたが当駅だけは、そこそこの滞在時間がとれるよう日程を考えた
縦駅名標は平仮名とローマ字のみの表記なので、より気分が高揚する
19世紀から120年以上の歴史を有する
高儀駅は砺波市との境界線近くにある南砺市の駅。平成の大合併前は福野町
市境の線引きがやや複雑だが、駅から1~2分歩くと砺波市に入ってしまう。開業は1899年(明治32)だから、19世紀生まれで120年以上の歴史がある。少し前の1897年に城端線の元となった中越鉄道が開業していて、砺波(当時の駅名は出町)~福野の間に設置された。高儀の住居表示は今も残っていて、駅から10分ほど南に歩いた場所となる。現在は当駅と砺波の間にもうひとつ東野尻駅ができているが、設置当時は東野尻村からのアクセスも考慮されたという
そんな歴史ある高儀駅だが
現在は簡易的なコンクリート駅舎。駅としては1970(昭和45)に早々に無人化された。現在の形になったのはJRとなった1987年(昭和61)なので、この駅舎になってからも40年近くが経過している
その時に構内は棒状化された。かつてのホーム跡は40年の歳月を物語る
現在の姿となる前は開業直後からの木造駅舎が残っていたようで
駅前広場と花壇に面影を残す
駅舎内の待合室はきれいに清掃されている
私は「高木さん」には出会ったことがあるが「高儀さん」には出会ったことがない。富山県を中心に北陸方面にはいらっしゃるようだ。町村制度が始まった明治以降では高儀という自治体は誕生しなかったが、高儀村は江戸時代にはすでにあった地名らしい
せっかくなので駅名板もあるだけ撮っておこう
こちらが駅舎の外側にあるもの。凸型になっているあたり、40年前は簡易的な駅舎にするにしても工夫が凝らされていたことが分かる
こちらは内側のもの。年月を経てかすれた感じがいい
今回の駅訪問で最重要とした駅に立ち寄れてとても満足して当地を後にした
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