JR東海

参宮線、今のうちに~貴重なJR東海の廃駅

池の浦シーサイド駅は閉鎖されている

1月7日12時15分

鳥羽駅からバスに乗車

以前お伝えした「田丸駅と最後のお別れ」(1月27日アップ)当日の最初の行動です

この日は朝から大阪から近鉄特急に乗り、鳥羽で下車。駅と直結している鳥羽のバスターミナルへ行きました

規模の大きいターミナルです。長距離便もこちらから出ているようです

バスに乗車して10分もかからず

池の浦で降ります。この「CANばす」は二見浦駅の記事(1月29日アップ)でも紹介した宇治山田駅、伊勢市駅、伊勢神宮から二見浦近くまで直行するバスで鳥羽までを結んでいます。その途中バス停がこちら

国道42号から海の方にそれるように5分ほど歩くと

見えてきました。池の浦シーサイド駅です。いや正確に言うと駅跡です

ホームは残っていますが入れません。この日の目的のひとつでした

池の浦シーサイド駅とは

平成の声を聞いた平成元年に夏季臨時駅として設置されました。海水浴客の利便性と誘致を目的としたもので、当初は1ヶ月以上営業され、快速「みえ」も停車するなどテコ入れもされていたようですが利用者がどんどん減っていき、末期はひと夏で4日間の営業で停車列車も朝夕の上り下り1本ずつというありさまで3年前にひっそり廃駅となりました。ですから現在入口にある「池の浦シーサイド駅は閉鎖しております」の案内板は臨時駅時代からのもののように感じます

「ひっそり」と記したのは地元から大きな反対の声もなかったからです。ただバスで向かった際、地元の方が何人か降りたので、当初あった常設駅の要望が実現していれば、どうなったかは分かりません

私は利用者激減→廃駅という事実は知っていましたが、利用者が減った理由については分かっていませんでした。「マイカー利用が増えたのだろう」ぐらいにしか考えていなかった。今回初めて現地を訪れて知ることになります

写真で一目瞭然なのですが

ご覧のように「シーサイド」ではあっても「ビーチサイド」ではないのです

海水浴場は向こうに見える観光旅館「海の蝶」のプライベートビーチである池の浦シーサイドパークで徒歩10分とかなりの距離。当然、歩くのは盛夏ですから泳ぐ前に疲れてしまいそうです

しかし1日2往復、営業日は年に4日と言われると、それを見逃さないのは私と同部類の人々で末期は旅客すべてが鉄道ファンという日もあったようです。確かにバスの本数もあるし近隣のJR駅、近鉄駅も徒歩20分ぐらいと「この手の駅」としてはアクセスは良好。「最終」を見送っても大きな問題にはなりません

歴史的には貴重

上り下りともすぐにやってくる時間帯。というか参宮線も普通が1時間に1本に加え、快速みえもあるのですから上下合わせると列車はすぐやってきます

こちらは伊勢市方面行き。速度制限表示で分かるように現役の駅ではないので、かなりのスピードで通過していきます

国道から俯瞰した鳥羽行きです

さてJR東海は廃駅というのがほとんどなく、旅客営業を行っていた駅について、私の知る限りでは愛知環状鉄道に移管された岡多線(他の三セク移管は国鉄のうちに行われた)とナゴヤ球場正門前(臨時駅)しかありません。ただし後者については直後に尾頭橋という代替駅が正式駅として誕生しているため、事実上「唯一の廃駅」となります

実は過去にも一度当駅を訪問しようとしたことがあります。今から5年半前の2017年9月。営業日でないので駅には入れず結果はほぼ同じだったでしょうが駅名標はあったはず

しかし、どしゃ降りで車窓に映る自分を見るだけで断念しました

それに対し今回は

季節は冬ですが穏やかな内海が広がる光景。来て良かったです

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参宮線、今のうちに~JRホームからの近鉄の眺めが見どころ

伊勢市駅の記念撮影ボード

2022年10月29日12時

三重県内で見られる「全く同じ駅」

あらためて伊勢市駅です

近鉄と同じ駅になっています。これは本当に「同じ駅」で、分かっている方は分かっていると思いますが、中間改札も何もない。全く止められることなく両社のホームを行き来できます。駅舎は一応、JR側と近鉄側に分かれていますがどちらからでも入れるようになっています。初めて来た人は面食らうのではないでしょうか

スタートした時から別会社で相互乗り入れもなく、どちらも主要駅だというのに同じ改札内という構造は紀勢本線、参宮線と近鉄が並行する三重県内では他にも見られ、津と松阪が同じ形。かつては関西本線の桑名と鳥羽も同様でしたが、桑名は新駅舎誕生に伴い改札が分離され、鳥羽はJR駅の無人化に伴い別の入口となりました(ちなみに四日市はJRと近鉄が徒歩15分ほど離れています)

それゆえ、注意しなければならないこともあります

伊勢市駅には自動改札機が設置され、案内表示で分かるようにJR側の改札で、見たところJR仕様の改札機に見えますがICリーダーについては近鉄用。参宮線はIC乗車ができません。やったことはありませんが、JR系のIC乗車券もおそらく軽快に通してくれるもののJRの駅で降りようとすると大変面倒なことになるはずです。大きな文字で注意していますが、観光地だけに初めて来る人がついついやってしまうことも多いのでしょう

写真はJR車が到着した時の様子。無人駅からの整理券乗車や車内で車掌さんに発券した場合は自動改札は通れないわけで、ほとんどの方が自動改札機を使用しないという、現在の鉄道ではちょっと珍しい光景が見られます

伊勢市の駅舎です。もともとの駅舎を改修する形で現在のものとなっていますが基本は空襲で焼けて再築された駅舎と同じです

JRの駅舎を出るとすぐ参道

駅を降りるとすぐに参道。駅舎の写真で分かる通り、参道はJR側にあり、近鉄の駅舎は伊勢神宮とは逆側でやや寂しい上にJRと近鉄のホーム間の距離も長く参拝道まではやや距離がある形になっているのですが、そこは近鉄(当時は参宮急行電鉄ですが以降も近鉄と表記します)もちゃんと考えたようで当駅乗り入れのわずか半年後に、さらに1駅行った宇治山田を終着駅としました

1駅といってもこんな感じ

グルリ回り込む形で自社としての参拝駅を設けたことが分かります。ショートカットして歩けば電車賃を支払うまでもない距離です

伊勢市という駅名になったのは戦後のこと。意外に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも自治体名は「伊勢市」ではなく「宇治山田市」。近鉄がやって来た時の自治体名は宇治山田ですから当時としては違和感のない駅名でした。学校名が「宇治山田」なのも、そのためです

では、もともとの駅名は何だったのかというと「山田」。近鉄の駅は山田の次が宇治山田だったことになります。国鉄の駅名も伊勢市誕生から数年を経て伊勢市となりました

ちなみに国鉄の駅名で「○○市」と付けられているのは旧国名と都市名が同じになった場合に混同を避けるためのものが多い。三重県内には至るところに「伊勢○○」という駅があって、はるか彼方の伊勢市内にない駅があります。山口県の「長門市駅」、愛媛県の「伊予市駅」も同様だと思われます

近鉄を見上げる

駅のJR側構内には特急券を含めた近鉄のきっぷ売場が独立して、かなり大きなスペースで設置されています

当駅はJRも管理駅で全線きっぷうりばも設置される重要駅ですが、利用者は3倍も違います。近鉄利用もこちらの方が多いのでしょうから、利便性を考えるとこうなります

ゆっくり進む近鉄

JRと近鉄のホーム間はかなりの距離があると前述しました。その間に巨大な留置線があるからです。列車も停まっているため車庫のように見えるかもしれませんが、正確には「車庫の跡」です。明治期の開業と同時にできた車両基地で、当時は唯一の伊勢神宮への参拝路線として幹線扱いだったことが分かります。この車両基地のおかげで近鉄は基地の向こう側にホームを設置せざるを得ませんでした。その車両基地も7年前に廃止。今は留置線です

ただ車両が消えたおかげでJRのホームからは

近鉄がよく見えます。地図で分かるように近鉄はここから大きくカーブしながらJRをオーバーパスしていくので高架の上り降りはかなり減速します。カラフルな近鉄特急が、ゆっくりとそして数多く見られる光景は飽きない。ある意味皮肉な絶景が生まれたわけですが、この空間を有効利用するには道路も含め、駅の構造をガラリと変更する必要があるため、しばらくはこの光景が見られそうです

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参宮線、今のうちに~JRが近鉄に勝る駅

2022年10月29日11時

名勝とは読みが異なる

二見浦の駅舎です。駅名からも想像できるし、あらためて説明するまでもありませんが夫婦岩で誰もが知る二見浦の最寄り駅で、駅舎はそれをイメージしたガラス張り

以前は学校か役場のような大きな木造駅舎でしたが20年前に現在のものとなりました。現在は伊勢市ですが旧二見町の中心駅

前記事でも触れましたが、伊勢市~鳥羽の観光地へのアクセスで立地的にJRが唯一、勝っている駅です

夫婦岩の二見興玉神社まで約1キロ。徒歩15分です

ただ漢字は同じですが景勝地は「ふたみがうら」で駅名は「ふたみのうら」と読みが異なる。もともと、どちらの読みもあるようです。ちなみに駅からすぐの小学校は「ふたみうら」です

駅にあった解説。とても分かりやすい。観光客に親切ですね

にぎわった面影が残る

駅前のロータリーは広く、参拝道に向け鳥居があります

鳥居側から見るとこのようになります。駅前広場の大きさが分かります

駅の構内はというと、これもまた大きい。有名観光地ですから、もちろん快速「みえ」停車駅です。現在、当駅にやって来る列車はほとんどが2両編成で、長くても4両編成。正直言ってホームは持てあまし気味

側線の跡がありますが、かつては長大列車が往来していたことを思わせます。おそらく現在は点字ブロックのところまでしか使用されないのでしょう

全国的に有名な二見浦の最寄りで観光の際は伊勢神宮とセットで訪れる方も多いと思われます。そもそも二見興玉神社でみそぎを受けてから伊勢神宮に参拝するのが習わしでした

今も変わらぬ観光地でもちろん多くの人が訪れるのですが、それにしては1日の乗降車は約500人と決して多くないというか、観光規模を考えると少ない。マイカー発達もあるでしょうし、宇治山田駅や伊勢市駅、内宮、外宮からの直接のバスアクセスで夫婦岩にもっと近いところまで行けるようになっていて、週末は内宮からのバスも含めると(内宮発は現在、コロナで休止中)、列車より多い本数が設定されています

駅も10年以上前に無人化されています

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参宮線、今のうちに~「参宮」の名が許される唯一の存在

二見浦駅の駅舎

10月29日11時

ほぼ全員が下車

列車は二見浦に到着

乗っていたお客さんのほぼ全員が降りてしまいました。参宮線にIC乗車券は導入されておらず、ワンマンの運転士さんも忙しそうです。考えてみれば隣駅は単式ホームのみで駅舎もない松下、その次が終点の鳥羽。快速「みえ」だったら名古屋を含めた主要駅から鳥羽への利用者もあったでしょうが(二見浦は快速停車駅)、私が乗っていたのは普通。鳥羽へは近鉄が圧倒しています。付近の主要観光地で立地的にJRが唯一、有利となっている駅。当日は土曜日で観光客も多かった。と同時にJRと近鉄の関係性を雄弁に物語る光景ともなっています

ご覧のようにこの付近では人の多そうな海沿いをJRが走るのに対し、近鉄は山の中を走っています。乗れば分かるのですが、近鉄の車窓はひたすら山中で人里の雰囲気はほとんどない。伊勢市から鳥羽に向け真っ直ぐ敷設されています。なぜこんなことになっているのかというと、近鉄がずっと後から線路を敷いたからです

正式名称は「神宮」

この関係を語ると、とても長くなるのですが、できるだけ短く説明すると、まず「お伊勢参り」が、移動手段が徒歩しかなかった古来から「一生のうちに一度は行きたいものだった」ことだったことに由来します

伊勢神宮の正式名称は「神宮」。最高の格式を持つため地名が入らない唯一の神社です。「伊勢神宮」とは他の神社と区別するための通称

そんな「神宮」ですから鉄道が日本にやって来た時に放っておかれるはずがない。参宮鉄道という会社が、まず宮川まで線路を伸ばし、やがて現在の伊勢市駅まで到達したのは明治のまだ19世紀。ちなみに、この参宮鉄道は現在の関西本線を作った関西鉄道という会社とも縁が深く、亀山から津まで関西鉄道が敷設したものを継続する形で津~伊勢市までを建設しました。ちなみに関西鉄道という会社は草津~柘植の現在の草津線も建設しています

少し話はそれますが柘植の駅に行くと奈良方面に向かう関西本線が大きくカーブを描いて離れていくのが分かります。そこだけを見ると草津線が本線のように見えてしまうほど。それは草津線が先にできたため

また地図を見ると名古屋からの関西本線と紀勢本線の接続は、かなり内陸にある亀山で、名古屋から、なんでわざわざこんな遠回りをして伊勢方面に向かうのかと思うかもしれませんが(三セク伊勢鉄道の前身となる国鉄伊勢線は戦後に開通)、それは大阪や京都からスムーズに伊勢神宮まで行くためです

この路線はやがて国有化されるのですが、明治のうちに、こちらも観光地である鳥羽まで延伸。当初は亀山~鳥羽が参宮線とされ、関西からだけでなく東京方面からの優等列車も乗り入れ、大いににぎわいました。需要に応じるため複線化が計画され、一部は実現しました

近鉄の追撃

ただ、こんな「おいしい路線」を他が放っておくわけがありません。その後、参宮急行電鉄という、こちらも「参宮」を冠する現在の近鉄の前身が大阪から伊勢までをつなげたのが昭和初期。先行する国鉄に対抗するため「特急」を運行。これが、その後「近鉄特急」となります

ただこの時点では国鉄側もまだまだ余裕があったのですが、戦後の伊勢湾台風からの復旧工事の際に名古屋~伊勢中川を狭軌から標準軌に改軌。大阪からだけでなく名古屋からも乗り換えなしで伊勢まで行けるようになり立場が完全に逆転。国鉄にとって不幸だったのは戦時中の金属供与でせっかく複線化した区間を単線に戻していたこと。複線電化と単線非電化では、なかなか勝負になりません

さらに近鉄は戦前から細々と走るローカル私鉄だった鳥羽~賢島間の志摩電鉄を買収。これが現在の志摩線。しばらくは国鉄の鳥羽駅から発車する飛び地路線でしたが、その後に鳥羽までの線路がつながり賢島へも直接行けるようになったため、亀山~多気が紀勢本線に組み込まれたことで、わずか30キロの路線になっていた参宮線は完全なローカル線になってしまいました。それが大阪万博と同じ1970年のことです

小学生の前半を三重県の名張というところで暮らしていた話は前記事でも触れましたが、当時「近鉄で直接、鳥羽と賢島へ行けるようになったので行ってみるか」という両親の話し合いがあって鳥羽と賢島まで泊まりがけの家族旅行に行ったことを今でもよく覚えています。「かしこじま」と読めるようになったのもその時。近鉄延伸がきっかけで鳥羽、賢島まで足を運ぶようになった人は多かったと思いますよ

そもそも近鉄大阪線沿線に住む小学校低学年の私はお伊勢参りは近鉄で行くものと覚えていて国鉄の駅があることすら知らなかった。当時SLが走っていたなんて前記事の田丸城に保存されている車両の説明書きで今年初めて知ったぐらいです。近鉄の鳥羽線はたった13キロしかありませんが、すでに差があった国鉄と近鉄の競争にさらにダメージを与えたわけです

ただ繰り返しますが「参宮線」を名乗れるのは唯一ここだけなのです。沿線には歴史がちりばめられています

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参宮線、今のうちに~田丸駅と最後のお別れとSL

田丸城の歴史解説板

1月7日14時10分

3ヶ月ぶりに再訪

年が明けて田丸駅を再訪。最後のお別れをしてきました。連休中でしたが何かイベントがあったのか高校生が多数下車していきました

前回も紹介しましたが惜別のメッセージがズラリ

駅前のロータリー。ちなみにタクシー会社もあります

駅前にはかつての旅人のオブジェがあります

江戸時代の当地は紀州藩(広大だったのですね)で各街道の合流点。お伊勢参りを終えた旅人は各街道を経てそれぞれ帰路または次の目的地に向かったそうです。合流点、分岐点として田丸宿は大いに栄えました。にしても、文字にすると簡単に「熊野詣」となりますが、えらく遠い。吉野、高野にも向かったと書かれていますが、現在、車で向かっても何時間もかかりそうな距離です

ちなみに翌日、名松線に乗って伊勢奥津駅も訪れたのですが、そこで見たものは

田丸にも記されていた伊勢本街道の解説。こちらは大阪へと向かう道で田丸宿もあります。現在のJRや近鉄の駅名と同じものも見られ、こういうものを見ると鉄路が敷かれた理由や、途中で未成線となった名松線のように敷かれようとした理由もよく分かります。ただ多気の次が奥津とは…。ここは歩くだけで1日かかりそうです。昔の人は皆さん健脚だったのですね

珍しく周辺散策

次の列車まで1時間あります。ということで今回は珍しく観光というか周辺の散策を行うことにしました。幸いなことに駅は玉城町の中心部にあるので城跡の訪問も含め、ちょうど良い環境です

5分ほど歩くと

町役場(右手の建物)と保育所が見えてきます。堀の内側に建てられているのが分かります。役場の向こうはすぐ城郭への入口です

登っていきましょう

相当な攻防の歴史があったようですが、各地の城郭と同様に明治維新とともに廃城となり、現在は城跡となっています

坂を登っていくと玉城中学校

駅から学校までは徒歩10分ほど。こうして見ると学校は完全に城の中です

写真で見るとよく分かる

そして天守の場所へ。途中、この季節とは思えない薄着のご婦人2人連れとすれ違いました。私より明らかに年上です。地元の方で日課なんでしょうね。お元気です。ここまで簡単に登ったように書いていますが盛夏だったら、途中で引き返したかもしれません(笑)

石垣の上に天守があったのですね

眺望は素晴らしい。桜の季節は華やかだろうし、四季それぞれの顔があるのだと思いました

SLは北海道から

城から降りていくとSLが展示されていました。もちろん静態保存ですが屋根もあって状態はとてもいい。てっきり参宮線で活躍していものかと思ったら

北海道で活躍していたものが町政80周年でこちらにやってきたそうです。確かにそう言われると先頭部分には雪かきが付いていて納得。初めて知ったのですが昭和13年から19年までの6年間で382両も製造されたのですね。戦時下の需要がうかがい知れます

参宮線では昭和48年つまり1973年までSLが走っていたと記されています。これも初めて知りました。私は67年から72年まで三重県で幼少期を過ごしていて、つまりはSLがバリバリの頃に県内にいましたが、住んでいたのは名張という近鉄しか走っていない町だったので全く知らなかったというか縁がありませんでした。ただ私が名張にいるころに近鉄は鳥羽まで延伸して賢島まで直接行けるようになり、近鉄特急もバンバン走っていました

参宮線の歴史については後述しますが、近鉄の鳥羽延伸が大きなダメージを被ったという事実は知っていたものの、まだSLが走っていたとは初耳です。郷愁というより近鉄特急にSLでは、とても対抗できないな、と思ってしまいました

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参宮線、今のうちに~このために来た

田丸駅にはさよならメッセージがビッシリ書き込まれていた

2022年10月29日10時10分

いよいよメインイベント

宮川からひとつ戻って田丸駅に到着。この日は6時24分名古屋発の列車に乗り、亀山経由で参宮線に入り、出発すらすでに3時間半。車内でウトウトする時間帯になっていますが、しっかり目覚めた。ここに来るためにホテルを早めに出てきたのですから

跨線橋を昇り降りして、まずは駅舎を拝見

うーん、これはほれぼれするような立派な駅舎だ

駅名板は宮川の巨大ホーローに対して、こちらは筆書き。かなり古いものであることは間違いない

柱は赤く塗られています

財産票によると大正元年(1年と書かれているところがまたいい)ですから1912年。昨年で110歳の誕生日を迎えたことになります。駅の開設は宮川まで線路が伸びた1893年なので、1回改築されていることになります

100年以上の歴史。間もなく姿を消す

田丸駅の所在地は三重県の玉城町。駅の開設時は田丸町で、伊勢神宮への要路となる当地の田丸城は古くから攻防が繰り広げられ、江戸時代になってからは、お伊勢参りの宿場町として栄えました。駅の設置も当然だったのですが、この歴史ある駅舎がなくなる、というのが今回の訪問の趣旨。その時点では解体の時期を知らず(今年の春ごろとされる)、慌てて駆けつけたのでした

玉城町には鉄道駅は、ここひとつしかなく町でも風格のある駅舎を引き取っての保存、管理も検討されたそうですが、調査の結果、耐震性に問題があるとされ、やむなく解体となりました。建て替えを行い、空洞の超簡素な駅舎にはならない予定です。現在、駅にあるものが、いくつか残されるといいですね

有人駅として10年前まで頑張ってきましたが、現在は無人

駅舎内の細かい造りに目が行きます

レンガの土台の上にコンクリートそして、その上に木造駅舎というのも独特な造りのようです

実は年明け早々にも最後のお別れのため再訪問してきました

駅舎内に設けられたメッセージボードには感謝と惜別の文字がびっしり書き込まれていました

参宮線については近鉄との比較や詳細な現状をさらにゆっくり見てから記事にしようと思っていたのですが、解体間近ということで今回の紹介となりました

まだ少し時間はあります。ぜひ田丸駅に足を運んでみてください

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参宮線、今のうちに~大みそかに開業した駅

宮川駅の柱駅名標

2022年10月29日10時

最初の終着駅、伊勢神宮参拝の拠点として栄える

前日、名古屋に宿泊した私は早朝から関西本線、紀勢本線といくつかの駅を巡りながら10時前に宮川で降りました

宮川駅の歴史は古く、開設は1893年というから明治26年。そして開業日が12月31日の大みそかというのが、特別な駅だということを物語っています

年明けを目前にした大みそかに開業というのは、あまり聞いたことがない。ただどんなに遅くても新年を前にスタートする必要があったのです

こちらが伊勢神宮参拝の「最寄り駅」となったからです

現在も伊勢市駅つまり伊勢神宮の最寄りまで徒歩で1時間近くかかります。そして鉄道の工事は宮川に阻まれ、やや遅れ気味でしたが日本に初の鉄道が走ってまだ21年しか経っていません。車なんてまだまだ。そんな時代に徒歩1時間の場所まで行けるのですから、当時としては画期的なこと。参拝の拠点駅として大いににぎわった記録が残っています。伊勢神宮への参拝は当時の人々にとって大きなイベントだったのですから

面影が残る。ビッグホーローも

木造駅舎が残ります

財産票によると昭和になってあらためて再築されたもののようですが、駅前のロータリーの大きさにも名残が感じられ

跨線橋から構内を眺めた様子。カーブ状にホームが設けられていますが、規模は大きい。駅舎新築のタイミングでカーブも緩やかになったようです

そして長い。参宮線が延伸された後も長大列車の到着や行き違いがあったため、構内は広いものとなっています。長大列車対応でホームの外まで複線区間が伸びています

そして何と言っても

この巨大なビッグホーローの駅名板。とても価値のあるものだと思います

ただそのように栄華を誇った宮川駅ですが、国鉄時代の末期に早々に無人化されています。参宮線そのものが近鉄に圧迫されたというか、伊勢や鳥羽に向けての導線として大きく水をあけられたためです

参宮線の沿線はどこも名所が多く、こちらも駅に隣接して離宮院跡があります

無人駅となっているため駅舎と逆側にある離宮院の側にも出入り口が設置されています

写真でお分かりのように参宮線にはIC乗車は導入されていません

実は駅リポートしては不完全な状態なのですが、早めに紹介しなければならない事情があります。また歴史と格式としては指折りともいえる参宮線について次回以降も報告させていただきます

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~意外と普通に読む広大な駅

9月9日9時50分

キハ120も混雑

都会の電車にしか乗ったことが地方ローカル線に乗って、まず驚くのが単行(1両編成)運転の列車があることとボタンを押さないと開かないドアだそうです

もっとも後者については空調維持のため都会でも違う形で導入されていて、普通の待避が多い阪神の新型車両では車掌さんがすべてのドアを開けるものの、停車中は乗客がドアを閉められるようになっています。真夏とか真冬とか助かるのですよ。ただ見ていると、まだまだ定着とはいかず、ドアをプシューッと開けて入ってきたお客さんが閉めずにシートにどっかり座り「寒い」とばかりに他のお客さんが閉めるシーンがよく見られます。私も閉める側によく回りますが嫌みのように思われているかも

さて単行(1両編成)運転の代名詞のようになっているJR西日本のキハ120。間違っていたら申し訳ないのですが、高山本線では2両編成となっているようです。なかなかやるじゃないか!

その2両編成のキハ120。富山に向かうにつれ、お客さんがドンドン乗ってきてキハ120名物(と勝手に私が思っている)のボックス独占は、ままならない状況に。青春18きっぷ最終盤で、明らかに同業者と思われる人もバッグをひざに載せたりと慌ただしい

私は富山まで行かず速星で下車。猪谷から約40分。もう富山までは3区間で10キロもありません。旧婦中町の中心駅。文字だけ見ると「何て読むのか」と、いろいろ考えてしまいますが、ご覧の通り訓読みを並べて「はやほし」と普通。全国の難読駅を見ている人こそ引っかかる、ある意味難読駅かもしれません。地名で駅から近い速星神社にちなむようです

地図でも描かれているぐらい大きな構内、多くの側線を持ちます

高山本線では貴重な駅

これは隣接する日産化学の工場につながるもので当駅は今も現役の貨物駅。そして現在の高山本線では唯一の貨物列車が運行されている路線となっています。高山本線においては貴重な駅

駅舎は

歩行者用の屋根が設置されていて少し分かりにくいですが、1927年(昭2)からの開業時のもの。駅舎の広さも維持されています

指指確認の文字は古そうです

みどりの窓口あり。富山中心部へのベッドタウンで利用者は増加傾向。一部の特急も停車する乗客4ケタの駅ですが、みどりの窓口については危うい状況のようです

立体型というか駅舎から少し飛び出る形の表示がいいですね。というか「全線きっぷうりば」をずっと見てきたのでJR西日本区間に入ったことを実感します

立派な駅名板。書かれた方の署名があるようですが達筆すぎて読めず。すいません

駅舎内の待合も立派です。冬場は大いに助かりそう

せっかくテレビまであるのだから、これならいくらでも時間をつぶせそうですが、あるあるというか、こういう時に限って時間がない。事前に決めた「どうしても行く駅」がある。列車はしばらく来ないのですが、とにかくそちらに向かいます

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~キハ120で「いつもの」旅

9月9日9時

JR東海から西日本へ

昨日に続いて猪谷にやって来ました。ただ今日は強制乗り換えのためです。社境の駅なので普通については運行が分断されます

背後の景色を見ると飛騨山地を抜けてきた、という気分になります

私が前日乗車した列車は先に行けませんでしたが原則的には富山側からも高山側からも乗り継ぎができるダイヤとなっています。すぐ発車の場合もありますが私の乗車列車は15分ほどの乗り継ぎ時間がありました

当然ながら国鉄時代は社境をまたぐ列車が運転され、JRになっても猪谷をまたいでいて、昨日も紹介したJR移管後1年の1988年時刻表によると富山側から高山を目指す列車は乗り継ぎが設定されていないものを除くとすべてが直通運転。高山側からも乗り換えがあるのは1本だけです

そして普通の本数については今とあまり変わらないことに気付きます

ローカル線の過去の時刻表を見ると、以前の本数の多さに驚かされることがしばしばで1日3往復と閑散区間の代名詞のようになっている芸備線の備中神代~備後落合は当時(多いか少ないかは別としても)8往復が運行されていました

現在高山~猪谷は1日8往復で、うち猪谷で富山行きにスムーズに乗り換えられるのは6本(少!)ですが、88年のダイヤも富山発が6本、高山発が8本とほぼ同じ。むしろ岐阜から富山まで直通する優等列車が急行の2本だけしかなく、後は鵜沼から名鉄に入る特急北アルプス(懐かしい)があるだけなので、4本の特急が富山まで直通する現在の方がむしろ本数が多いと言えます

本線だけど地方交通線

「本線」を名乗りますが高山本線は地方交通線です。本州にある本線では唯一の地方交通線です。全長225キロと東海道本線だと東京から掛川あたりまで行っていまうので、なかなかの距離。日本海側から(岐阜を経由して)太平洋側まで抜ける鉄路は重要で大正時代の1920年から工事が始まり、山間部の狭路を通す難工事ながら、たった14年で全通しました

戦後に車社会の波が押し寄せ、各地の山間部ローカル線が苦戦する中、高山、下呂を筆頭に特級の観光地を持つため、一定の需要があります。また岐阜近辺と富山近辺では、それぞれ通勤通学の足として多く利用されています

岐阜近辺の利用者を見ていると複線電化してもいいのではないかと思えるぐらいですが、全線が単線非電化。特急の運行もあるため多くの駅ですれ違いが可能な構造となっています

マイカーですか

さて前日、猪谷まで乗車した時のこと

猪谷直前の車内の様子ですが、お客さんの少なさを言いたいわけではありません。猪谷から先は乗り継ぎがないのですから、こんなものでしょう

言いたいのは車内。まるで大都市圏の電車に乗っているかのようです。JR東海のキハ25ですが、とてもじゃないけど、1日8本のローカル線という感じではない。乗り心地も大変良い。気動車の感じではありません

それもそのはずで、つい先日まで名古屋市内まで通勤通学の足として多くの利用者を運んでいた武豊線が電化されたことで、その列車がゾロゾロと高山本線にやってきました。編成上、単行運転というのはありません

これから乗るのはキハ120。JR西日本のローカル線ではおなじみです。キハ25はこの世に登場してまだ10年ちょっと。キハ120は30歳ぐらいで、ちょっと年季が入っています

こうして並ぶと、若干若さの違いを感じますか

もっとも私にとっては乗る機会が多いキハ120の方が青春18きっぷの際は落ち着くといえば落ち着く。このあたりは個人の感想だけの話

カーテン、ボックス独り占めなどなど、私にとってはなじみの光景

気動車独特の音とともにJR西日本区間を走り始めました

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~岐阜県最北の駅はツイッターでお世話に

杉原駅の駅名標

9月9日7時

18きっぷの最終日

期限ギリギリ青春18きっぷの5回目、最終日を迎えました。9月9日ということで服装は盛夏のものですが、さすが山中とあって、この時間は肌寒い。秋の訪れを感じます

宿泊したホテルは高山駅からすぐ。そもそもの朝食やこの後、お昼がどうなるか分からないので駅前のコンビニで食料を買っておく。高校生や通勤の人でコンビニはにぎわっていました

これが本日の朝食。昨日はたまたま飛騨古川でお昼を食べられたので名古屋のコンビニで購入しておいた菓子パンも残っています。写真では駅前に誰もいないようになっていますが、この時間にはもちろんそれなりの人がいて、駅前のベンチでムシャムシャとコンビニおにぎりを食べるオッサンを見てどう思ったのか(笑)。ここは高山という大きな駅ですが、ローカル線の駅巡りの際に出会うコンビニは私に言わせれば神です。勝手に「神駅」と呼んでいます。その度にコンビニの駐車場でムシャムシャ食っています

しかしコンビニなんて最近のもので20年以上前は各地に今ほどあったわけではなく、その時自分はどうしていたんだろうと、ふと考える時があるのですが全く思い出せません。おそらく当時は地方の小さな駅で降りても食堂や商店があったのでしょう

猪谷行きに乗ります。美濃太田が始発の列車。高山駅では乗務員の交代が行われていました

岐阜県最北の駅

トコトコ揺られること1時間ちょっと。岐阜県最北の駅である杉原に到着しました

基本的には宮川に沿って線路が敷かれていますが、ここから富山側で県境が宮川に引かれていて川が蛇行しているため、線路としては富山県に入って一度岐阜県に戻った後、再び岐阜県に入る形になっています

駅舎です

木造のトタン屋根。高山本線でも何度か見た雪口仕様。朝霧に包まれていて雰囲気があります

開業時からのものです

そしてこの駅舎の写真は、私のツイッターのヘッダー写真となっています。お世話になっている駅。ちなみにアイコンは山陰本線の長門粟野駅

そんな当駅の乗降者数は

1日1人!

2019年のもので私が見ている統計では高山本線内の圧倒的最下位。次が渚駅の5人で、1ケタはこの2駅のみ。「乗降」ですから、日々同じ駅を利用する人がいた場合は最低単位は「2」となりそうですが、とにかく1人です。しかもコロナ前のものなので、その後の数字は分かりません

時刻表はこんな感じ。通勤通学に配慮した運行となっているようです

もちろん無人駅ですが国鉄末期ごろまでは駅員さんもいたようで、左側にある、おそらく手荷物扱いだった窓口も現役だったようです

貨物の取り扱いもあったらしくヤードが残っています

また現在は廃止されたスキー場の利用者でにぎわっていた時期もあり、私の手元にあるJR移管後1年の時刻表(復刻版)には急行「のりくら」について「12月25日から3月10日は杉原停車」と記してあります。急行がなくなった後も特急の臨時停車がありました

それでも県境の駅として、お隣の猪谷までが8・7キロと長いので列車交換をはじめとして運行には欠かせない駅

ホームには駅舎から階段を降ります

駅名板はかっこいい

毎回のように繰り返していますが利用者は1人でも駅名標はピカピカ。次の猪谷で降りるとJR西日本の駅名標となります

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