※訪問は2024年12月10日
徒歩で向かう玄関口
どこをどう見ても廃線跡の道をてくてく歩く
遊歩道になっているようだ。廃線跡なのだから、歩いていけば現在は西脇市の玄関口となっている西脇市駅に到達するはず、というか必ずたどり着く。地図アプリも必要ない。これほど安心できる道はないのだが、ある種の寂しさを感じるのも、また事実だ
ゆっくりと西脇市駅へ
昼間の加古川線の西脇市~加古川は1時間に1本の運行で、ほぼ毎時45分発のパターンダイヤに近いものとなっている。徒歩約20分と分かっているので、それに合わせて向かうことも考えたが、せっかく来たのだから、余裕を持って散策しながら行こうと喫茶店を出た。楽しい会話に席を立つタイミングを微妙に外してしまった側面もあるが、1時間に1本の運行があるのだから駅まで行けば後は何とでもなる。同じ加古川線でも西脇市~谷川が遅刻厳禁なのとは大違いだ
廃線跡ばかりを歩くのももったいない気がしたので一般道路も歩いてみる。時間は11時で、もう寒くはない。歩いていると汗ばんでしまうほど。3時間前に霧の比延駅でブルブル震えていたのがウソのようだ
街並みが古くて道路の拡張にも限界があるようで歩道部分が少ない
グーグル地図で表示されるコースは私が歩いたものと、ほぼ同コース。表示されている通り旧西脇駅跡近くのホテルから真っ直ぐ廃線跡の道を歩き、実際はそのまま駅までたどり着くはずだがグーグル先生もうまく道路を見つけられなかったのか、一度一般道に出る案内となっている
駅近くの踏切までやって来た。踏切の名前は「野村第三踏切」で旧駅名の「野村」のまま。野村は地名で
道中、地元の掲示板もあった
駅舎は開業時から?
駅前ロータリーには遊歩道「やすらぎの道」の案内がある。つまり廃線跡。アピカ西脇とはホテルのある旧西脇駅跡のこと
先ほどの踏切の向こうには遊歩道入口がある。右の線路が加古川線の谷川方面だ
西脇市駅は1913年(大正2)の開業。これまで書いている通り、当初の駅名は野村。播州鉄道が西脇まで敷設した際の途中駅だったが、1924年に谷川まで線路がつながった際に分岐駅となり、1990年の鍛冶屋線廃止で西脇駅がなくなったことで「西脇」を引き継いで改名された。ただそうした経緯から当駅は西脇市の代表駅というより、玄関口としての色彩が強い
駅舎は開業時からのものを基礎にしているようだが、入口の三角屋根は西脇市駅になってからのもの
有人駅だが、みどりの窓口は廃止され、みどりの券売機が設置されている。ご覧の通りICリーダーが設置されている。加古川線は加古川から当駅までがICエリアとなっている
構内は分岐駅時代からの名残で2面3線構造と大きい
電車に乗ろうとしたら
駅前には加古川線の利用を促す看板もあった。全くの結果論だが、ここに来て電化して20年の西脇市~谷川の廃線を持ち出すなら、鍛冶屋線の方を残しておいた方が収支としては良かっただろう。もっともその場合は阪神淡路大震災の際にバイパス線として見直されることもなかったし、未だに非電化だった可能性すらあった
西脇市では市の中心部から西脇市駅へと加古川線との接続を考慮したコミュニティバスを走らせているが、万能とは言えず、西脇駅があった30年以上前と単純に比べるわけにはいかないものの鉄路の利用者は減少している。私は一見さんで鉄オタでもあるので廃線跡を楽しく歩いたが、真夏に真冬、雨の日も含め20分も歩くのは現実問題としては大変だ
ただ加古川に至る加東市、小野市の沿線では加古川駅での接続の利便性もあって駅の位置は悪いながらも一定の利用者数はある。神戸市内から小野市の中心部を経由して加古川線の粟生駅でJR、北条鉄道と交わる神戸電鉄は、加古川から新快速に接続するJRにすっかり客を奪われ、廃線の危機を迎えているほどだ
そんなことを考えながら電車の発車時刻が近づいてきたので駅舎に入ると、この日は周辺の高校は一斉に試験日だったらしく、高校生が続々と集まってきた。西脇市駅は市の外れ部分にはあるが、駅伝で有名な西脇工業や西脇高校の最寄りで高校生の利用も多い
加古川線といえば国鉄の103系が原型も分からないほど改造されて走っていることで有名で、103系が走る西脇市~加古川での再会を楽しみにしていたのだが、昼間は125系の単行が主力らしく、この時にやって来たのも125系。途中駅でも高校生を中心に出入りがあり、車内は朝の新快速かと思うぐらいのギューギュー詰め(新快速は12両でこちらは単行だが)
終点の加古川では専用ホームで折り返しとなる加古川線電車を待っていた高校生が入れ違いにドッと乗り込んできた。車内で乗客の数を数えていたのは5時間ほど前。全線で50キロに満たない路線の別々の姿を短時間で見ることになった
↑2つクリックしていただけると励みになります