JR

青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~片鉄ロマンの駅

和気駅の駅名標

※訪問は2023年4月6日。状況が変化している可能性があります

昭和コンクリート駅舎

和気駅です。兵庫県から岡山県に入って岡山市内までは戦前からの木造駅舎が多いのですが、こちらは「ザ・国鉄」のコンクリート駅舎

1962年に現在の建物になったようですが、それでも60歳超。JR西日本の社員が研修、訓練を行うことで有名岡山総合実設訓練センターがあることでも知られています

構造は2面3線。1日に3往復、当駅を始発着する電車が設定されています

周辺は和気町の中心部

和気駅周辺は和気町の中心部。町役場のほか、吉永駅の項でも紹介した閑谷学校をルーツに持ち350年以上の歴史を持つ県立和気閑谷高校の最寄り駅でもあり、当駅から岡山市内へ通学する生徒も含め、朝夕はにぎわいます

駅前のロータリーにはタクシーも常駐していて駅としての規模も大きい。駅前の観光協会はかつて銀行だった建物に入居しているようです

そして地図を見て分かるのは、駅舎側だけでなく駅舎と逆側にも町が広がっていること。それは片上鉄道の駅があったから

片上鉄道との接続駅

ホームから駅舎と逆側に「片鉄ロマン街道」の文字とホーム跡のようなものが見えます。1991年に廃線となった「同和鉱業片上鉄道」との接続駅でした

柵原鉱山の硫化鉄鉱を瀬戸内海の片上港に運搬することが目的で大正期に敷設された片上鉄道。片上駅は赤穂線の西片上駅の近くで現在はスーパーとなっていますが、0キロポストが残り、今も「片鉄片上」というバス停に名前を残しています

旅客運輸も行っていた片上鉄道はJR(国鉄)との接続駅は、ここ和気のみで利用者は最も多かった

駅舎と逆側へは地下通路で結ばれていて

その通路は片上鉄道とJRのホームを結ぶための通路を転用したもの

線路跡はサイクリングコースとなっています

自転車道は「片鉄ロマン街道」と名付けられ詳細な地図があります

こちらは駅前の和気町の地図。山陽本線をまたぐ点線で描かれているのが片鉄ロマン鉄道つまり片上鉄道跡です。片上鉄道の廃線によって和気駅が町内で唯一の鉄道駅となりました

訪問時は無人

駅舎に戻ります。ガラス張りでターミナル駅の雰囲気が漂う

楷書体の駅名板は駅舎内に。いつからのものでしょうか

古典的な番線案内もあります

みどりの券売機が設置されています。直営駅で無人駅ではないはずですが、訪問時は窓口は閉まっていました。簡易式のICOCA改札機が設置されています

訪問時は青春18きっぷ期間。岡山県内の山陽本線の駅では開閉式の改札機を設置している駅でも「青春18きっぷ利用の方は通ってください」とフリーで通れる部分を設けている姿も目にします

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~日本初の庶民のための学校

吉永駅の駅名標

※状況が変化している可能性があります

旧吉永町の中心地

吉永駅。直近の訪問は今年の4月

構造は2面3線。かつては国鉄駅の代名詞だった2面3線構造も最近は1線分のレールがはがされたり、有名無実になっていることが多いですが、ここはそのまま残されています。1日に2本、当駅での折り返し電車が設定されていて、そのためのホームとなっています

山陽本線のこの区間は前回の三石と当駅以外にも和気、瀬戸と複数の駅で折り返し電車が設定されています。当駅では7時台と18時台。通勤通学に対応しているのは明らかですが、三石、吉永、和気と1駅ずつ設定されている点がユニーク。ただ三石までは7キロ、和気までは5キロと駅間はかなりあります

2005年まで存在した旧吉永町にあった唯一の駅で同時に町の中心部は駅近辺に集まっています

吉永町は岡山藩主の池田宗家の墓地があることで有名。同時に吉永駅は日本初の庶民のための公立学校である「閑谷(しずたに)学校」の最寄りでもあります

同所には10年以上前に訪れたのですが、どうしても写真が出てこなかったので

閑谷学校を記した駅の案内と

閑谷学校へ行くバス停の時刻表でお許しください

大正からの駅舎が健在

駅は1891年(明治24)の開業

財産票によると現在の駅舎は大正15年(1926年)からのもの。大正のラストイヤーにできたものなので、間もなく駅舎は100歳となります

閑谷学校を訪れた時と駅のイメージが違うな、と感じたのですが、その後調べると駅を覆うように植えられていた何本かの木がなくなっていました

ただし駅舎そのものは手を加えながらも建築時の雰囲気を伝え続けています

三石駅と同じ2016年に無人化されています。簡易式のICOCA改札機がポツンと置かれています

窓口の上部に緑色のものが残っていますね

こちらはホーム側からの写真。駅舎内は広い

当然ながら山陽本線は今も多くの貨物列車が走っていますが、当駅での貨物取り扱いは国鉄時代の末期に終了しています。三石駅の記事でも触れたレンガを当駅でも扱っていたそうです

側線には保線用車両が停まっていました。左奥の建物は大きな病院です

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~高台にたたずむ県境の駅

三石駅訪問時は桜が満開だった

※駅の状況が変化している可能性があります

岡山県と兵庫県

上郡を出て岡山に向かう電車は距離にして12・8キロ(山陽本線最長の駅間)、電車で10分もかけ、岡山最初の駅である三石に到着します

いかにも県境という車窓には民家はほとんどなく、国道2号線のバイパスが見えるのみ。こういう県境感の車窓が私は好きです

新幹線に乗れば、新大阪から45分、新神戸からは30分で岡山に着いてしまうので、とても近い隣県と思われる方も多いかもしれませんが、私の認識は全く異なります。まず駅を降りるとイントネーションが違います。いわゆる関西式とは逆になります

過去の歴史を見ても、播磨の国と備前の国は攻めて攻められてと、領地争いが繰り広げられ、豊臣秀吉が主役なので描かれ機会が多いのでしょうが、有名な上月城の戦いなど争いの印象が強い

三石は古代より宿場として栄え、南北朝時代から戦国時代までも内紛を含め数々の攻防が行われた地。近代は耐火性のある蝋石を産出する鉱山の町からレンガの町となりました

多くの側線を有する高台の駅舎

今もレンガ関連の会社や倉庫が残る国道2号の旧道沿いにある町の高台に駅はあります

手前でカーブを描いているのが国道2号で駅舎は道路を見下ろすように建てられています

多くの側線が残ります。無人化されていますが、山陽本線では岡山県の東端にあるため、早朝と夜間には当駅始発、夜間と深夜近くには当駅止まりの列車が設定されています

訪問は今年の4月6日。沿線の他の駅では終わりかけていましたが、山中の駅では桜があまりにも美しすぎた

当駅訪問は2017年9月以来。前回と異なるのは駅舎の左側が縮小されて新しい建物が建っていること

財産票を見ると目的は明らか。電車の夜間停泊時の乗務員の宿泊施設となっています

大正時代からの駅舎

これは6年前の様子で無人化されて間もないころの写真ですが、今と大きな変化はありません

窓口の上には列車のヘッドマークが展示されていてユニークなものばかりですが、どの時代のどんな列車のものか私には確認することができませんでした

駅は1891年の明治23年に現在地に設けられました(開業は別の地で1890年)。財産票には大正10年と記されています。大正10年といえば1921年。すでに100歳を超えたことになります

駅舎を入るとホームにはトンネル形式の通路を上がっていくのですが、振り返るとこのような感じ。途中の通路は庭園となっていて、きれいに整えられています

ホームは側線に囲まれた1面2線。電車に乗ると旧三石町の中心部だった街が車窓から一望できます

ぜひ訪れてほしい県境感たっぷりの駅です

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~知名度抜群の県境駅

上郡駅の駅名標

※状況が変化している可能性があります

何かと見聞きする駅は

相生から西へ向かう山陽本線は有年そして、ここ上郡のわずか2駅で兵庫県と岡山県の県境に到達します

降りたことはないけど駅名だけは知っているという駅というのがあるのではないでしょうか。都市圏で運行される電車の終着駅となる駅によくあるケースで近畿圏では「野洲」「網干」などが挙げられます。上郡もそのひとつ。今は運行がなくなりましたが、赤穂線の備前片上駅は大阪・神戸方面への直通列車が走っていて「一体だんなとこやろ?」と子供心に思っていました

上郡もそんな駅のひとつで鳥取方面へと向かう「スーパーはくと」の停車駅としての案内が必ずある上

近畿圏のフリーきっぷが発売されると一番左に印字されていることが多い。市町村合併の影響もありますが、このきっぷで言うと利用区間の限界で自治体で言うところの「町」にあるのは上郡だけ(関西空港駅は田尻町と泉佐野市にまたがっている)

山陽本線の姫路以西は相生ダッシュの項で触れたように、多くが赤穂線直通へとシフトしましたが夜には大阪方面から上郡が終着となる電車が今も運行されています

古来からの重要地域

と延々説明してきましたが、私がちゃんと同駅に降りたのは2018年6月のことで全くの最近。上郡という駅の存在を知ってから40年以上が経っている

時間は22時前。鳥取から帰る際、それまで乗ったことがなかった「スーパーいなば」にどうしても乗りたくなった私はスーパーはくとではなくスーパーいなばに乗車。ここ上郡で乗り換えました

この時はすっかり夜で、ちゃんと明るい時間帯に訪れたのはもっと遅く2020年の3月で、つい最近のこと。こういう「いつでも行けるようで意外と遠い駅」というのは後回しになってしまうものです(三ノ宮~上郡は約90キロもある)

開業は1895年の明治28年。その5年前に有年から岡山県に入った三石まで線路が延びていて後から設置された形となっていますが、上郡は古来より播磨の国と備前の国の国境として重要な地域でした。駅舎はおそらく大正期からのものがずっと使用されています

有年の駅前を通る国道2号線は岡山方面へは山中を突っ切るバイパスとなっていますが山陽本線は川沿いを一度北へ向かう形で敷設され、大きく弧を描く形になった線路の北側に位置するのが上郡。奈良時代よりさらに前に山陽道の通り道となり、鎌倉時代から戦国時代にかけては国境を巡る陣取り合戦も繰り広げられました

駅前にはこのような観光案内も

ちなみにこの白旗城への最寄りは智頭急行で2つ先に行った「河野原円心駅」となります

山陽本線最長の駅間

鉄道的には山陽本線の兵庫県西端として重要地域となり、今も上郡発着の電車が設定されています。そのため構内も広い

また県境越えとなる三石までは12・8キロもあり、これは山陽本線最長の駅間となっています。ぜひ車窓を楽しんでほしい区間です

1994年には智頭急行が開業。起点駅となりました。スーパーいなばはJRのホームから発着しますが、他は別ホームで

線路はつながっているものの別駅扱いです

上郡は運行の拠点駅で朝と夜に大阪方面への直通電車も運行されていて新快速の出発、終着駅ともなっています。もちろん直営駅で駅員さんもいますがきっぷ販売については一昨年にみどりの窓口が廃止され、みどりの券売機が設置されています

ちなみに最終電車の到着は深夜0時40分でかなり遅い。こちらは20時43分に米原を出て高槻~明石間は快速として運行される電車ですが4時間もの長時間運行。存在はかなり以前から知っていて、ぜひ乗車してみたいと思ってはいるのですが、では着いてどうするんだと言われると、なかなか厳しいものがあり、長らく保留状態となっています

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青春18きっぷで相生-岡山を途中下車~いきなりメインディッシュの有年駅

有年駅の駅名標

※状況が変化している可能性があります

兵庫県最古の駅舎が存在していた

相生のひとつお隣で、すぐに私にとってのメインディッシュとなってしまいます。これを最後にしたいため、岡山側からたどる方がいいのか真剣に悩んでしまったほど

有年駅です。「うね」と読みます。さりげなく難読駅。これは2016年10月22日の写真です

このような木製の解説が建てられていました。ここにも記されている通り、開業は1890年というから明治23年。当時の山陽鉄道によって一度神戸からの終着駅となりました(間もなく線路は岡山県まで延びる)。こり山陽鉄道は現在の山陽電鉄とは異なっていて十数年後に国有化され、山陽本線となりました

駅舎はその当時からのもので、兵庫県最古の駅舎として長らく知られていました

駅舎内の様子。みどりの窓口こそありませんが駅員さんのいる駅

と同時に工事が行われていて新しいホームの付け替え作業は完成に近づき

新たな橋上駅舎もほぼ完成

使用も一部が開始されたばかりという状況でした

塩で大いに栄えた駅

駅の所在地は赤穂市。赤穂といえば赤穂浪士の時代から今に至るまで「塩」が大きな産業です。ただ鉄道黎明時に赤穂の町中や沿岸部には路線がなく、塩の運搬は課題でもあり、儲け話でもありました

そこで既存の山陽本線まで何とか線路で結ぼうと、いろいろな案が練られました。当時の大きな町で岡山側にも便利な場所は上郡ですが、地図を見れば分かるように山陽本線は大きく北側に迂回するように敷設されていて、ここまで線路を伸ばすのは無理となって指名されたのが有年。赤穂市の中心部から真っ直ぐ北にある。ということで1921年の大正10年に敷設されたのが播州赤穂~有年の赤穂鉄道

接続駅として有年が大いに栄えたことは駅前の解説にもあります

大変分かりやすい

地図の部分だけを拡大するとこのような形。駅の周辺はいろいろな店舗だけでなく、映画館やダンスホールまであり、大いににぎわっていたことが分かります。もちろん今はその光景は一変していますが、国道2号線の有年駅近辺は今も住宅が多く片側1車線の細い道路となっていることに、名残があります

全国各地には石炭などの鉱山や林業で栄えた駅は数多くありますが、塩で繁栄した駅というのは珍しい。赤穂ならではの話です

ただ戦後間もなく現在の赤穂線が相生から分岐して播州赤穂まで開通すると同時に存在意義がないとして赤穂鉄道は廃線。この赤穂線の影響は非常に大きく、元々岡山までの延伸を目的にしていた現在の山陽電鉄は計画を止めてしまいました。今は支線となって山陽網干が終点となっている網干線は現在の赤穂線のルートでの岡山到達を狙っていました。兵庫県内で完了しているにもかかわらず「山陽」という社名だったり、姫路駅に向かう際、本線と網干線の分岐駅である飾磨駅で網干線の線路が直線的で、本線が大きく弧を描いているのが、そのなごりです

長らくの静かな駅が

1951年の赤穂鉄道廃線後はひっそりと暮らしていた有年駅に変化が訪れたのは2010年代に入ってから。駅を訪れると分かるのですが、駅舎とは反対側に新たに宅地が造成され、駅へのアクセスの利便性を図るため橋上駅舎の構想が持ち上がります

それに伴い、明治以来の駅舎は解体となるのですが、由緒ある駅舎を残そうという運動が持ち上がり2016年は、まさにそのまっただ中

ただ翌2017年9月の時点でも、そのままでした

しかし同年12月24日に訪れると

このような案内とともにすっかり駅舎は姿を消していました。しばしぼう然

右にある旧ホームの上に駅舎は建っていました。もう土台が残っているだけ

山陽本線なんて未来永劫、廃線になることはない路線ですが、地方都市にある古い駅舎を残す難しさを痛感した瞬間でした

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青春18きっぷでちょっと途中下車~相生-岡山の各駅紹介

青春18きっぷ

※各駅の施設が変化している可能があります

新快速で楽々移動

青春18きっぷのシーズンまっただ中。夏の18きっぷは期間も長いため、1年を通じて最も利用者が多い期間。今年は7月20日から9月10日までが利用期間となっています

「JR全線の普通列車が乗り放題」というルールの避けられない運命として普通列車で延々と揺られなければならないのですが、JR西日本の東海道本線、山陽本線の米原~姫路間は在来線の特急を追い越しそうになるスピードスター、新快速が走る18キッパーにとっての人気区間です。個人的なオススメはこの区間を利用して四国の高松に渡るコース。岡山からは快速マリンライナーで、こちらもストレスなく乗車できます

ただ、兵庫県と岡山県の県境越えとなる区間は普通のみの運行。しかも姫路~岡山をダイレクトに結ぶ電車は朝と夜にしかなく、昼間はすべてが相生での乗り換えとなります。これが名高い「相生ダッシュ」を生む原因となっています

相生ダッシュのメカニズム

こちらは2019年9月の相生駅での一コマ。18きっぷ期間最後の週末で朝の9時半。最も各地からの利用者が多そうな時間です。姫路からの電車とは同一平面で乗り換えられるのですが、写真に「殺気」があふれています

しかしなぜ相生での乗り換えを強いられるのでしょう?

それは相生以西では赤穂線が「本線扱い」を受けているからです

姫路から相生を経て西へ向かう山陽本線の電車は昼間はすべてが播州赤穂行き。観光地でもあり、沿線人口も多い播州赤穂へ姫路から直接行けるようになっています。相生からの山陽本線は有年、上郡の山中の2駅で岡山との県境に入ってしまうので、次第に播州赤穂方面が優先されるようになりました

しかも相生から岡山へ向かう電車は1時間に1本しかありません。この電車は姫路方面からの播州赤穂行きと平面接続ですぐ発車するため、18きっぷのシーズンは、岡山の電車に向けて殺到する場面が見られるのです

コロナ禍以前は相生発上郡行きという兵庫県内の2区間で完結する電車が1時間に1本あり、こちらも播州赤穂行きへの接続があったため、姫路から相生までは30分に1本の運行で、こちらに乗れば、早めに相生駅に着いて確実に着席するという戦法がとれたのですが、今は昼間は1時間に1本。余裕を持って岡山行きに座れる電車がこの時間帯はなくなってしまいました

また新快速は原則12両編成ですが、姫路で播州赤穂行きに乗り換え、また相生で岡山行きに乗り換えると編成数がどんどん減っていきます。大阪方面からの播州赤穂行きの直通がない時間帯は姫路駅でも座席争奪戦が起きるので、こちらも要注意。特に12両編成の後ろの方に乗っていると、かなり前まで移動しなければならないので留意しなければなりません。姫路までは15分に1本の新快速があるので、こちらこそは余裕をもって姫路で乗り換えたいものです

相生駅周辺は

そんな相生駅ですが、新幹線駅も併設している割に街の中心部から離れているため、駅前はホテルがあるだけで大変寂しい場所となっています

私がよく訪れていたのは道の駅であるあいおい白龍城。これは冬場の写真ですが温泉が併設されていて風呂に入った後、カキオコを食べにいつも来ていました

相生駅からは歩くと30分近くかかりますがバスだと10分程度(歩くのなら赤穂線の西相生から15分で行けます)

相生~岡山間は68キロ。電車だと約1時間。県境越えをはさんで途中12の駅があります

18きっぷのシーズンは、ほとんど乗ったまま通過されることが多いのですが、せっかく乗り放題、降り放題の青春18きっぷです。岡山市内に近づいていくと本数も増えます。どこかで途中下車して風情を味わってみてはいかがでしょうか。順番に駅紹介をしていきたいと思います

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日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~総まとめ    すべての駅で乗降どちらかが可能

宗太郎駅の駅名標

※動画と音声ありです

初めて知った超閑散区間

私が佐伯~宗太郎間の人名シリーズに興味を持ったのは、5月に宗太郎駅訪問をした時でした。必ず延岡に宿泊しないと宗太郎には行けないので、佐伯~延岡間は基本的に特急利用となります。車窓に流れるいくつかの駅をながめていると「あれ?この駅名はすべて人の名前じゃないか」と思いました

「重岡宗太郎」は有名なので知っていましたが、佐伯から上岡、直見、直川とすべて私の周囲にもいそうな人ばかりじゃないか。大いに関心を持ち、時刻表をパラパラめくっていくと、あまりの列車本数の少なさにがく然。電化区間の本線上で特急に比べて普通の本数が極端に少ない路線というのは紀勢本線などでも見てきましたが、ここまで少ないというのは恥ずかしながら全く知りませんでした。コロナ禍で減便されて現在は2時間に1本の運行ですが、特急が1時間に1本走る列車だったのですから

こちらは直見駅の時刻表

そして上岡駅ホームの端に残る鳥居型の駅名標

これはぜひ全駅訪問をしなければならないと機会をうかがっていたところ、飛行機会社のタイムセールで安価な九州方面へのきっぷ獲得に成功。宗太郎行きから2カ月も経たないうちの旅となりました

宗太郎を含めると最低2泊が必要

早朝と18時以降にしか列車がないことを考えると宗太郎を含めた6駅訪問には最低2泊が必要なことになります(公共交通機関以外の手段やタクシーを利用する場合は別)。まず宗太郎へは延岡での宿泊が必ず求められます。また重岡~佐伯区間の各駅訪問を果たすにも必ず佐伯での宿泊が必要となります。ともに朝の始発駅(正確には宗太郎行きは南延岡始発)となるからです。幸いなことに両駅とも宿泊施設、飲食店は充実しています

※音声注意

同県内の連続する6駅、たった33キロの区間の各駅訪問に2泊3日が必要となるなんて、意味が分からなくなりそうですが、朝の6時台に延岡もしくは佐伯にいなければならないのでそうなります

全駅乗車or下車どちらかも可能

前回までお伝えした記事では初日の直見駅のみバスで訪れてバスで去るという乗降のどちらもできないというやや不本意な結果になりましたが、これは訪問が金曜から土曜にまたがっていたことが原因

2日目が平日の場合は、佐伯~重岡間でのすべての駅での乗車or下車のどちらかが可能となります。初日は17時25分佐伯発で重岡まで行きます。この電車は重岡で折り返しとなりますから、18時21分重岡発で18時49分に上岡着。記事では西田病院からの徒歩を利用しましたが、駅からすぐの国道沿いに「上岡」のバス停があり、19時22分に佐伯行きのバスがやって来て19時36分に佐伯に到着。1日3本しかないバスで平日と週末は微妙にダイヤが異なりますが、19時22分というのは共通。私の道程では直見から異なるルートのバスに乗車したので西田病院からの徒歩となっています

翌日は佐伯から6時18分発の延岡行きに乗車し、直川に6時35分着。同駅6時58分発の電車に乗るところまでは同じですが、お隣の直見に7時4分着。ここで降りてしまうと次の電車は18時41分と絶望的な11時間後ですが、直川振興局から直川駅を経て直見駅→佐伯駅へと向かうコミュニティバスが8時に来ます。これは平日のみの運行で土曜日だと9時54分とさらに2時間後な上、直見駅周辺は時間をつぶすような場所がほとんどないので現実的ではありません。なお日曜祝日についてはコミュニティバスそのものの運行がないので要注意

重岡駅については1日2本のバス以外は電車で行くには先述した佐伯発17時25分でしか行けません。重岡駅の項でも触れましたが朝の電車は当駅での列車交換(すれ違い)となるため乗降ができないのです

※音声注意

こちらは重岡駅で出発を待つ佐伯方面行きにちりんシーガイヤ14号。雨の音が旅情を誘います

かなり暗いように感じますが、当日は日没までまだ1時間もあり、雨雲のためです

この記事を書いている時点で佐伯市の日没時間は19時12分。訪問時より20分ほど早くなりましたが、まだまだ18時台は明るい。訪問するなら夏の季節の今のうちを推奨します

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日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~最後の訪問早朝のカブトムシ

佐伯駅から特急車両の普通に乗車

2023年7月1日6時

宗太郎行きの特急電車に乗車

一夜明けた朝の佐伯駅。時間は6時でまだ無人状態

大分方面へ向かうのが左側、今から乗るのが宮崎方面へと向かう右側。右側は特急車両ですが、こちらは以前にも紹介した

特急車両を利用した普通列車。前回、宗太郎駅から延岡に戻る時にも利用した列車ですが、その時はまさか2カ月も経たないうちに、再び乗車することになるとは思いませんでした。宗太郎訪問の時も記しましたが、4両編成のうち、先頭の1号車しか客扱いをしません

利用者は私を含め3人。おそらくすべてが同業者(鉄道ファン)です

旧直川村の中心駅

電車は6時18分に発車。6時35分に

直川に到着。降りたのも乗ってきたのも私のみ

2005年まであった直川村の代表駅です

有効長の長いホームは長大編成のすれ違いにも対応しています

側線が残っており、屋根付きの部分は保安車用のようです。貨物の扱いは私が生まれたころに終わっています

駅には立派な建物がありますが、こちらは人名シリーズの他駅と同じくお手洗い。駅舎は20年前に解体され、その跡に建てられています

つまり駅舎はなく

外のフェンスに時刻表が設置されています

次の佐伯行きは6時58分。宗太郎からやって来る、こちらもまた特急車両。私に与えられた時間は約20分ということになります

気になるカブトムシ

この時点でカブトムシのイラストにあまり興味はなかったのですが

バス停にもカブトムシ

駅付近の地図にも大きなカブトムシが描かれ、全長6・5メートルの巨大モニュメントと書かれています。直川村は「カブトムシの村」だそうで、がぜん興味がわいてきました

駅からも近いようで、片道10分以上要するのなら引き返すということで歩き始める。すると国道10号を5分ほどで

お目当てのモニュメントに到着

昆虫館のほか、キャンプ場、温泉もあるようです

直川駅付近は旧直川村の中心機能が集まっています。昨日、直見駅を訪れたバスは「直川振興局」止まりでした。旧直川村役場のことで現地まで来ると納得。直見駅から乗車したバスに乗っていた小学生は、おそらくここから乗ってきたのでしょう。その時間帯に列車がないのが残念

周辺には産直市場やスーパーもあり、食事もできるようです。まだ早朝で空いていませんが、しばらくして店舗が開いている時間に鉄道で来るのは不可能なことに気付く。こちらも残念

そんなことを考えているうちに20分はあっという間に過ぎ、駅へと戻ります。間に合わないと大変なことになります

駅は国道を少しそれた道のさらに路地を入った所にあります。正面に見えるのは駅舎ではなくお手洗いになってしまいますが、駅への道標となる場所に建てられていることが分かる。各地で見られる良い光景

さてしかし、長いホームのいったいどこから乗るんだ、とウロウロしているとホームでこのような目標を発見。特急車両787の4両編成の先頭車はここから乗れ、という意味でしょう

幸いなことに佐伯駅から電車に乗って直川駅に滞在する間、雨は一滴も降りませんでした。当日は土曜だったので、佐伯までの間、乗車してくるお客さんは少なかったですが、乗車すると地元の一般利用や高校生の姿も車内にはありました。昨日のことを考えると平日なら、もう少しお客さんは多かったのかもしれません

佐伯到着は7時19分。一度ホテルに戻って朝食を摂ることにします。ホテルに到着してすぐ雨が降ってきました

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日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~夜の6時にしか行けない日没駅

重岡駅に到着

2023年6月30日18時

乗車した電車の終着駅、重岡に到着しました

あまりに対照的な隣駅

高校生を中心に10人ほどが下車します。到着時は雨は本降り

誰が置いたのか、テルテル坊主が印象的

駅名標です。お隣の駅は宗太郎ですが、当駅と宗太郎では好対照のことがあります

こちらは時刻表。なかなか壮絶なダイヤで延岡へと向かう列車は1日1本それも早朝にしかありません。目につくのは朝の列車は同時刻に重岡を発車すること。ここで列車交換(すれ違い)が行われます。つまり双方向とも同じ時刻にやって来て、同じ時刻に出発するので朝に電車でやって来て帰るのは不可能なのです

ではどうすれば列車で来て帰れるのかというと、私が乗車してきた佐伯発17時29分、重岡着18時の列車に乗り、折り返しとなる重岡発18時21分に乗るしかありません。もうひとつ佐伯発19時3分、重岡着19時36分に乗車し、この電車は客扱いをせず折り返すようなので宗太郎方面からやって来る20時43分で佐伯方面に戻るという方法がありますが、さすがに駅で1時間待つ間に真っ暗になると思われるので、おすすめできない。いずれにせよ電車で来て帰るには18時以降の到着しかありません

宗太郎は延岡からの6時39分着に乗り、延岡に向かう6時54分発で折り返す「朝のみ訪問」の駅でしたが、ひとつお隣の重岡は「夜のみ訪問」と、あまりにも対照的になっています

かつての駅舎は今

駅舎を跨線橋から見下ろすと、高校生の家族が出迎えに来ています。全国の地方都市で見かける光景

重岡駅は2005年まであった旧宇目町の代表駅(代表駅といっても町内にあるのは当駅と宗太郎駅のみ)で駅名は、さらにその前にあった重岡村に由来します

開業は1922年と大正期。かつては開業以来の重厚な木造駅舎がありましたが、宇目町が佐伯市になったころに解体され、今は簡易な駅舎が建てられています。最後に残った一人の生徒さんが出迎えを待っていました

駅舎入口の駅名板。ここにもテルテル坊主がぶら下げられていました

他の「人名駅シリーズ」と同じく立派なお手洗いが設置されています

山中に分け入る事実上の県境駅

駅のすぐ横を国道10号が走っています。山中に入っていくと宗太郎駅方面。ここ重岡駅周辺が最後の集落となるようです

駅構造は2面3線。すべて有効で、私の訪問時は特急の待避もありました。ちなみに観光列車「36プラス3」では宗太郎と並ぶ停車駅で「重岡宗太郎」の面目躍如

奥が宗太郎方面で、宮崎との県境駅は宗太郎ですが、列車の運行を見ても重岡が事実上の県境駅として運用されていることが分かります

国鉄末期までは当駅も貨物扱いがあったようです

佐伯駅へはコミュニティバスの運行もありますが、佐伯駅まで行くのは1日3本。電車の本数の少なさから、大分駅方面へと向かう人は豊肥本線の三重町駅を利用するとか

三重町は特急停車駅で普通の運行も多く、普通でも大分まで1時間かからず行けるので、こちらのコースが便利だとか。木次線沿線で伯備線を利用する人が多いのと似ていますが、電化されている沿線に住んでいながら、わざわざ非電化路線を利用するというのは珍しい

うーん、読めないと思っていたら「そぼかたむき」「かたむきやま」と、そのまま読むそうです

わずか20分の滞在でしたが、さすがにこちらに乗らないわけには行きません。今日はこのまま佐伯に宿泊。翌朝に残る「直川駅」を訪問することにします

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日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~周辺施設充実の閑散駅

上岡駅の駅名標

2023年6月30日16時50分

病院で下車

直見駅からバスで15分

降りた停留所は西田病院。佐伯市では利用者が多い病院のようで、地方では病院にバス路線が集まっているのと同じく、こちらにも多くの路線が集まっています。私が降りたバスにも佐伯駅方面へ向かうお客さんが入れ替わりに乗ってきました

なぜ、ここで降りたかというと

病院から上岡駅までは徒歩10分もかからないから。つまり当駅は病院の最寄りということになります

地図ですべてを表示してしまいましたが、ここ西田病院は商業施設が集まる「コスモタウン」に隣接しています。もちろん西田病院とセットでバスの重要ルートになっていて、バスの車窓からは核となるスーパー以外にもハンバーガー、回転寿司、家電量販店、ファミレス、コンビニ、100均、カレーチェーン、携帯ショップ、紳士服、車用品などなど、私の家の周りにもある店舗がズラリ並んでいます。各地で見られる幹線道路沿いのロードサイド店をひとつに集約した形になっていて、おそらくすべてのジャンルが網羅されています。訪問時は雨模様の夕方でしたが週末などは多くの人が集まることが容易に想像できます

にもかかわらず上岡駅の列車本数はわずかにこれだけ。病院や商業施設へのアクセスという点では、ほとんど機能していません。駅舎は逆の方向に立っていて回り道が必要だし、むしろコスモタウンができてから列車は削減されているほどです

徒歩で駅を目指すが…

とにかく上岡駅を目指します。乗車予定は17時36分の重岡行き。40分以上の余裕があるので時間的には問題ない。ここでナビタイム先生の出番。駅舎は線路の向こうにあり、かなり回り道が必要なように感じますが、ほぼダイレクトに線路を横切れるよう指示される

すると歩行者専用の小径に案内され、なるほどなるほど、これで線路の下をくぐれそうだ、と感心していると

通路はおりからの雨で用水路が浸水。水深20センチはありそうで泣きそうになる。時間に余裕はあったので病院の裏手まで回って駅へと向かいましたが(その道程はグーグル地図で示されたもの)、急いでいたらゴルフのウォーターショットのように靴と靴下を脱いで横断していたと思います

踏切を渡ると国道217号に出て間もなく

上岡駅前に到着。ここにもバス停があり、こちらは山中に入って豊肥本線沿いを大分市内に向かう長距離路線で、1日3本の運行がありますが直見駅、直川駅には向かわない路線なので今回は利用することができませんでした

大正期からの駅舎が残る

今回の「人名シリーズ」の各駅で古くからの駅舎が残るのは、ここ上岡のみ

1920年(大正9)からの木造駅舎が今も現役です

公民館として使用されているのが駅舎が残った要因のようです。隣には立派なお手洗いもあります

公民館へは駅舎を通り抜けてから入る構造となっています

いつのものでしょうか。古い駅名標も残されていて、駅舎とともになかなか価値のあるものだと思います

ホームにも古い待合所が残ります。直見駅からバスに乗り、徒歩で上岡駅に到着するまでは雨は止んでいたのですが、このあたりから激しく降り始めます。今回の各駅訪問では、雨が降るのは電車に乗っていたり、駅舎がある駅にいる時ばかりで、かなり幸運でした

かつては貨物輸送も行われていたようで、その跡も残っています

向こうに見えるのは西田病院。駅舎側は古い街並みで、駅舎の反対側となる病院側には新しい住宅街ができています。ただし前述した通り、駅舎の逆側には直接出られないようになっています

雨が激しくなって待合所で待機していたのですが、重岡行きがやって来る時間となると、いつの間にか人が集まっていました

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