きっぷ

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~駅前通りと広告そして駅舎内の写真

※訪問は2025年7月9日

規模の大きな駅

剣吉駅に到着。青森県に入って最初の駅となる目時駅(帳簿上はIGRいわて銀河鉄道の終着駅で青い森鉄道の起点駅となる)から3駅目。青い森鉄道は国鉄時代の名残で八戸駅で運行が分断されていて、目時~八戸と八戸~青森が別路線のようになっているが、剣吉は前者に含まれている。この区間で最も規模が大きな駅は三戸駅で、かつての特急停車駅だが、その次に規模の大きな駅で、1日あたりの乗降者数は三戸の334人に対し、剣吉は236人(2022年度)とこの区間では2位の数字となっている。かつては優等列車の停車もあった

スポンサーリンク

無人駅ながら立派なお出迎え

かつては2面3線構造だったようだが、真ん中の線がはがされて2面構造となっている。貨物の取り扱いもあった。ホームに降りたって駅舎を眺めただけで規模が分かる

かつてというより、ついこの間まで名川町(ながわまち)唯一の駅だった。鉄道がこの地にやつて来たのは1897年(明治30)と、19世紀からの歴史を有する古い駅。そのころは名川町もまだなく北川村。北川村は剣吉村など複数の村が集まってできた自治体で、駅名はそこから採用された。北川村が戦後、名久井村合併して名川町となり、2006年から南部町。剣吉とはアイヌ語で、榛(はん)の木のある場所という意味。かつては湿地帯でハンノキ林だったのかもしれない

駅もまで有人駅で

駅舎に入ろうとすると立派なお出迎えがある。無人駅とは思えない

駅前で見た風景と駅舎内の風景

駅舎は昭和30年代から40年代にかけての国鉄コンクリート駅舎だ

駅の近くには商店街がある

駅前の商店にあるホーロー広告。かつては全国にあったおなじみの光景だが、今は急速に数を減らしている。いつからのものだろうか

駅舎に入ると

窓口と荷物受付があったと思われる場所は塞がれていて自動券売機が置かれているが、駅舎内はきれいに清掃されている

設置はそれほど古くはないようだが、駅舎内に立派なお手洗いがあるのが特徴。そしてその上を見ていただくと、地元の方々の撮った写真が並び

そこには貴重な写真が飾られていた。昭和19年というと、まさに戦時中の写真だ

駅前のバス停を見ると、南部町の中心である三戸駅へと向かう路線が多いようで、1時間に1本ほどの本数も確保されている

もう一度駅へと戻る。こうして見ると構内は広い。駅舎も含め、かつてのにぎわいが大いに感じられる

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~一気に170キロ移動し青森県へ

※訪問は2025年7月9日

県境移動が最大の課題

朝の一ノ関駅。大船渡線の間もなく100歳を告げるカウントダウンのボードを見ながらスタート。読者の方には全く関係のないことだが、7月26日というのは私の誕生日。もちろん私の人生の長さは遠く及ばないが、親近感はわく

そして多くの高校生とともに北へと進む。始発なので座れた。途中、高校生が激しく入れ替わり、やがて高校生の時間も過ぎ去って車内が落ち着いた9時過ぎに盛岡へと到着

1時間半も普通に揺られると、かなり飽きてくるが、そんな余裕はないのである

IGRいわて銀河鉄道の改札口へと急ぐ。一応、東北本線の盛岡着の列車と銀河鉄道の盛岡発の列車は接続が考慮されていて、9時5分が盛岡着で盛岡発は同14分。9分の時間がある。ただしもともとは同じ東北本線ではあるが、両者の改札口には距離がある。JRの改札を出てビルを抜けて階段を降りなければならない。普通に歩けば間に合うが、それなりの早足が求められる

スポンサーリンク

絶対に遅れられない列車に滑り込む

ホームに到着したのは9時10分で、発車の4分前

八戸行きが待機している。車両は青い森鉄道のものだ

ここから一気に岩手県を抜けて青森県へと向かうのだが、そのためにはこの列車に乗らなければならないのだ。IGRいわて銀河鉄道は盛岡駅から毎時2~3本の列車が出ているが、多くが岩手県内で完結するもので県境を越える列車は少ないのだ

ちなみにこの前の列車は6時41分で3時間近く前。次の列車は11時27分発と2時間後。一ノ関に宿泊した以上、「始発」はこの9時14分となる。JRとの接続が図られている理由もなんとなく分かる気がする。これを逃すと2時間もの待ち時間が生じてしまうのだ。乗り逃した場合は東北新幹線という手段があるが、もちろんそれは別料金になるので、できればその奥の手は使いたくない

さらに付け加えると銀河鉄道の列車は途中の滝沢、いわて沼宮内止まりのものが多く、いわて沼宮内から先の岩手県内の駅へと向かう列車も多くはなく、県境のはるか手前で待機というパターンにもなるのだ

盛岡を出発した列車は1駅ずつ丁寧に停車しながら北へと向かう。そして盛岡から1時間半かけて

この日の最初の目的駅である剣吉に到着。時間は10時47分で一つ目の訪問駅としてはかなり遅い。それもそのはず。一ノ関から盛岡までが約90キロ。IGRいわて銀河鉄道の全区間が約80キロで、青森県に入るだけで170キロを要し、青森県に入ってから約15キロ。7時半の列車に乗って。盛岡での乗り継ぎの数分間を除くと、それだけの距離をトコトコ揺られてきたのだから、こんな時間にもなる

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

北海道&東日本パスの長閑旅の振り返り~東京から延々と普通を乗り継ぎ青森県へ

※訪問は2025年7月8、9日

昨年の分とまとめて報告

昨年の7月8日早朝。私は上野駅にいた。さすがにこの時間帯に上野を出る宇都宮行きは人影もまばら。前日のうちに東京に入り、北海道&東日本パスを購入。このまま北上である

一昨年の夏にも行った「宿もとらず北海道&東日本パスを利用して気ままに旅をする」を昨年も行ったのだが、他の記事をアップしているうちに季節が過ぎ、冬になってしまった。東北地方の現実の景色に合わなくなったので、そのまま塩漬け状態としてしまい、また夏が来て、北海道&東日本パスの旅を繰り返すことに

ということで、2年分の「気まま旅」をセットで振り返ることにする

ちなみに2年前の記事は

空港最寄り駅にもかかわらず、木造駅舎という花巻空港駅から花巻空港にバスで向かい、帰宅したところで終わっている。2024年7月6日のことだった

スポンサーリンク

途中で飽きたらしい(笑)

途中からどんどん旅客が増えていって、7時過ぎに宇都宮に着いた時は通勤通学、特に通学の高校生でいっぱい

乗り換えて黒磯に着くと、ちょうど貨物列車の乗務員交代の場面に遭遇した。貨物列車については全くの素人の私にとっては貴重な光景だった

次いで新白河。東北に突入。2024年は常磐線で仙台を目指し、途中駅で随分降りたが、今回は青森に着いてからの日程が詰まっている(津軽線の駅訪問を行った)ため、東北本線でほぼ途中下車なしに進む。こういうJRでの青春18きっぷ向けの普通(快速含む)乗り継ぎは東海道本線、山陽本線でもそれなりのダイヤが組まれているが、東北本線の北上については細切れで前身する印象だ。気分転換になる反面、乗車して1時間ほどで降ろされたりするので、なかなか前へと進まない

郡山そして

アルバムを見返すと白石と駅名標ぐらいしか撮っていない。1年以上前のことなので、その時の心情は忘れてしまったが、過去に何度も来た駅だし、きっと飽きてしまったのだろう(笑)

泊まりは一ノ関で

仙台に着いたのは13時すぎ。7時間以上かけて到着。この手の旅は、大きなターミナルのひとつずつが節目だ

ようやくのお昼は駅そばのカレーそば。Xのフォロワーさんの投稿でも度々登場するお店で、夏であろうと気にせずカレーそば。サービスの白ご飯で満足感が増す

食事を済ますと、さっさと北上を

18きっぷ(今回は北海道&東日本パス)旅で最大の関所のひとつ、小牛田で強制下車。同じような旅をした経験のうる方は分かるだろうが、まさに関所。必ず乗り換えが生じて、しかも結構待たされることが多い。当然だが、。今夏も当駅での待機を命じられた

その時間を利用して、本日の宿を調べ始める。このまま先へ進める場所でホテルがありそうな町は盛岡が北限だろうが、さすがに時間的に遅いというか、この日に限ってはホテル料金も高い。前年に泊まって安かった北上も今日はなぜか高い。というか、朝の5時に都内のホテルを出てからかなり時間が経っていて、さすがに疲れてきた

ということで

宿は一ノ関に決定。時間がハンパに余るので石越駅で、乗り継ぎ以外で初めての本日の途中下車を行い、16時20分に一ノ関着

翌日は一気に三セク区間に入るつもりだ

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~最後の乗車はやはり中央弘前まで

※訪問は2026年7月15日

石川駅で列車を待つ

お昼の最も暑い時間帯の石川駅。20分ほど歩いてきたばかりなので、もちろん汗ビッショリだ。昨年も同時期に弘前鉄道に乗車し、大鰐線で残った駅の回収と弘南線の駅巡りをしたが、駅間徒歩というのをかなり行った。というのも、昨年7月の私は天候に恵まれていて、青森に滞在していた数日間は、いずれも最高気温が26度前後と、そう暑くもなかった。弘前在住のXのフォロワーさんによると、私の訪問時のみ涼しく、その前後は北国といえども気温が35度の猛暑日になっていたとか。今年に関しては、さすがにそううまくはいかず、前日の津軽線でも最高気温は32度で、長年地元で暮らす方にとっては、たまらない暑さとなっていたようだ

スポンサーリンク

あらためて気づく「非冷房車」

そんな状況の中、朝から弘南線そして大鰐線に乗車して知らされたのは、弘南鉄道の車両には冷房がないことだった

気持ちよく扇風機が回っている。もちろん弘南鉄道の車両に冷房がないことは知識として知っていたが、前述したように昨年は天候に恵まれていたため、エアコンが必要だと感じたことすらなかったのだ。だが今年はさすがに必要性を感じた。乗車時間と混雑具合によるのだろうけれど

車内では間もなくやって来る弘前ねぶたを意識したものだろうか、金魚ねぶたがズラリ並んでいた

別れを告げる時が来た

ホテルを弘前駅前に確保しているため、できるだけ中央弘前駅を利用せずに弘前駅へと向かう手段をあれこれ考えていたが、結局は中央弘前まで乗り通してしまった。まだまだ時間は早い。やはり最後はここで別れを惜しもう

こちらは車内にあったりんご娘というか、おそらく王林さんのサイン

あらためて午前中に見たカウントダウンのボードと再会。こうしたものを見ていると、まだ1年半あるとはいえ、確実に別れの時が迫っていると感じる

県庁所在地ではない弘前市に生まれた地方私鉄。なかなか貴重な存在だ。しかも大鰐線については最初から弘前電気鉄道という電化路線だった。1952年(昭和27)という時期を考えると画期的でもあった。地方都市にあって国鉄の路線と並行する私鉄に認可が出たことも凄いことだ。奥羽本線が当時非電化で、復興中の日本という国にあって、貨物列車の需要が高まり、奥羽本線が旅客ニーズに応えられない状況だったことも幸いしたという

新しい建物が多い弘前市の中心部で、ひときわ存在感を放つこの駅舎ともこれでお別れ。遠く離れた地から大鰐線を見守っていこうと思う

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~この看板を見ないことには来た意味がない

※訪問は2026年7月15日

目にとまった看板

前記事で最後に伝えた分岐点。ここから大鰐線の石川駅を目指す。もう徒歩で10分を切るぐらいの場所まで来ていると思う

すると目にとまったのは

クマ注意の看板。全く記憶にないので当時からあったものかどうかも分からない。もしあったとしても雪深い季節だったのでスルーしていたのかもしれない。そもそも全国各地でのクマ被害が深刻になり始めたのも昨年の夏以降のこと。私も過去にはホイホイと行けたというか、むしろ喜んで行けた山中の誰も利用しそうにない駅でただ1人過ごすのは正直怖くなっている

スポンサーリンク

かつての白い道を通って

大鰐線の踏切を渡る。義塾高校前駅から奥羽本線をオーバーパスするための高架部分は終わっていて、後は線路沿いの道路を行くだけだが

昨年3月はこのような道だった。きれいに除雪された部分とのコントラストが美しい白の道だ。大鰐線の架線でブロックされているが、岩木山が見える。昨年7月の写真を見ると、弘前市内の各地ではきれいに岩木山が見えていたようだが、今年はかすんで見えなかった。山がひとつ見えたり見えなかったりするだけで、こんなに景色が違うものかと思ってしまう

そして石川駅に到着。大鰐線の思い出の旅のゴールでもある

有名看板そしてホキさん

石川駅だ。大鰐線で駅舎のある駅は少ないが、千年駅、弘高下駅と同じ大鰐線の古参駅舎の標準モデルだ

昨年3月は線路以外の部分は雪という感じだった。1952年(昭和27)に弘前電気鉄道の駅として開業。当時は石川町の所在で、現在は弘前市。先に奥羽本線の石川駅が町内にできていたので、当初は新石川駅を名乗った。1986年から現駅名。ちなみに同じタイミングで弘南大鰐駅も大鰐駅となっている。ただ石川町内では後発の石川駅だが、古くからの城や旧市街地は大鰐線の駅の方が圧倒的に近い。そのような事情で、当駅も長らく有人駅だった

窓口の跡も残る

そして石川駅といえば

この看板だろう。今の世の中を象徴しているような出来事だが、とある時ネットで大いに「バズった」。いつのことなのか私にも分からないが、昨年初めて大鰐線に乗車した私がその前から知っていたぐらいだから、かなりの人気スポットだ。「死にます」の警告(しかも子ども向けである)は、今ではまず見かけないものだし、ちょっと考えほしい。先に挙げたクマ注意の警告ですら、あくまで「危険」である

 

私も大いにはしゃいでいた。やはり大鰐線に乗車するなら、この看板は外せない

もうひとつ当駅で忘れてはならないのは

側線に止まるホキさん

昨年3月も雪に埋もれながら、しっかり自己主張していた

大鰐線に貨物列車が走っていた時代に活躍していたものが、今は保線車として余生を過ごしている。車両の位置が変化しているので「石川駅常備」のまま、しっかり業務をこなしているようだ

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~歩きたくないのに勝手に足が動き出す不思議

※訪問は2026年7月15日

小さな交差点で立ち止まって…

義塾高校前駅から住宅街の方に出る。駅前は何もないのに少し歩くと住宅街というのは不思議だが、あくまでも学校の移転により設置された駅で、近隣住民の皆さんのことは考えると駅を設置する場所がすでになかったというところだろう。しかも以前からの住民の方々のためにはJR奥羽本線の石川駅がある。最初の予定では石川駅まで行き、弘前駅へと出るつもりだった。奥羽本線の普通は昼間はそう多くは運転されていないが、今のタイミングならちょうど良く電車が来るのだ。奥羽本線に乗れば、中央弘前駅と弘前駅の移動問題も解決する

ただJRと大鰐線の交差点まで来て、少し気が変わってしまった

スポンサーリンク

歩いた景色を思い出し

踏切から向こうを見れば石川駅が見える。すぐの場所だ

そういえば

昨年3月はこうだったなぁ、と景色がフラッシュバックしてしまった

となると、ちょっとあの時と同じ道を歩いてみるか、という気持ちになってしまった

現在地から約15分。昨年3月は大鰐線の石川駅から歩いたが、今回は逆コースとなる。実際にはややウロウロしながら歩くので、もう少し時間はかかるが、大鰐線も1時間に1本の運行。時間はたっぷりある

それにしても弘前学院大前駅では、同じような15分ほどの徒歩を暑さがイヤで止めたのに、こちらはもう少し長そうな距離を歩こうとしている。なかなか人間、強烈な思い出には勝てないものだ

雪に阻まれ、水に阻まれた1年半前

それでは歩いていこう。線路沿いの道路を歩く。舗装はされていない。昨年3月は舗装のなさが、ちょっとした悲劇

当該地を通り過ぎて振り返ってみた。昨夜から今朝まで降った雨の水たまりが少し残っている。もともと水はけの悪い場所なんだと大変納得

というのも当時は

このような状態だったからだ。他に回り道はない。というか踏切が見えているので、すぐそこがゴールである。ということで右端のできるだけ水たまりの小さな所をそろそろ進んで最後はジャンプ!

何とかクリアしたが、着地時にひざを痛めてしまったようで、実は今も冬場に痛みが出る。それまでひざなど痛めたことがなかったので、ある意味勲章をもらったことになる

途方に暮れた思い出も

大鰐線の高架をくぐっていく。JRをオーバーパスするための立派な高架は大鰐線唯一のもの。こちらも残念ながら役割ほ終える運命にある。今日はそういう意味での感慨を持ってながめることができているが、昨年はそのような余裕は全くなかった

しばらくすると奥羽本線をくぐる小さな道路にやって来た。私がとるコースは手前側に進むが、昨年3月はこの手前側からやって来て、携帯アプリにJRをくぐるよう指示された

先に挙げた地図で毘沙門天堂が示されているが、ここを経由するコースだったらしい

実際に行ってみると、このような感じでリンゴ畑の横を進めばたどり着けそうだが、当時は

こうだった。これは無理だろう。足跡を付けた人が偉すぎる。正直泣きが入った。もう1度奥羽本線をくぐって、半ばヤケクソに進んだのが、今日来た道、当時進んだ道である。この絶望的な雪に比べると水たまりぐらいなんとことないのである

その時の記事がこちらである。これは私の中でもなかなか忘れられない旅と

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~こんな景色だったのかと改めて知る

※訪問は2026年7月16日

一番降りて見たかった駅

列車は義塾高校前駅に到着。今回最も降りてみたかった駅である。というのも、ホームに降り立ち「こんなところだったのか」と改めて思いたかったからだ。ホームの向かいにはビニールハウスがあるが、昨年3月、そのような意識は全くなかった

あったのはフェンスの意識だけだ。そもそも積雪に見舞われる季節は、雪の重さにやられてしまうビニールハウスは設置されていないのだろう

スポンサーリンク

とにかく一面白の世界

そもそもホームからの景色がこちらだった

原型はこのようになっていたのかと感心するというか発見である。昨年3月の時点では一面の雪の白い世界

こちらは駅を立ち去ろうとして撮った写真。日本の各地で見る光景だが、四季が加わるとこうも違うものかと思ってしまう

遠巻きに見るとリンゴ畑があって、その向こうに電車の架線がわずかに見える

それが1年半前は

もう全く別世界。というか雪の中には何があるかというクイズの答え合わせに来たようなものだ

当時と比べて今の方が道路から駅の施設がよく見えるな、と思っていたが、これはおそらく雪に阻まれていた雑草が雪解けと夏の日差しのもと、一気に成長したからだろう。津軽線の休止駅でも見てきたが、自然の力のすごさを感じる

次の駅へと歩き始める

当駅は東奥義塾高校への通学のための駅で、学校が当地に移転してきた際に設置された。1987年(昭和62)のこと。だから駅周辺には何もない

弘南線の尾上高校前駅をこの日の朝に訪ねているが、こちらの駅も学校の開学とともに誕生した。周辺には何もない。移転と開学では違うが、学校の建物が新たにできたという意味では同じで、新たに学校レベルの大きな建物を建てる土地がある場所は必然的に街の真ん中ではなくなる。農地の中にポツンと駅が設置されたのだ

ここからは次なる目的地へと移動しよう

少し歩くと住宅街へと出る

このあたりは交通量もそれなりにあり、昨年3月の訪問の際も除雪は進んでいた。当然だが、景色はほぼ同じである。ここから徒歩で数分のJR奥羽本線の石川駅に行き、弘前駅へと向かうつもりだ。こうすると効率的に弘前駅へ行くことができ、中央弘前駅と弘前駅とのアクセス問題は解決する。しかし、ここまで来て他にも立ち寄りたいところができてしまった

と、その前にひとつ

こちらは昨年3月の写真

岩木山をバックに義塾高校前駅に滑り込んでくる電車。個人的にはなかなかお気に入りの写真なのだが、盛夏のこの日にホームに立つと何かが違う。少し考えてようやく分かった。一番最初の写真を見てほしい。岩木山は雲にかすんで全体が見渡せなかったのだ

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~根性のなさが招いた思わぬ発見

※訪問は2026年7月16日

私鉄利用の降り鉄には超貴重な駅

千年駅から2駅中央弘前方面へと戻り、弘前学院大前駅で下車

ご覧のようにスーパーとの合築駅となっている。見て分かると思うが、建物の壁にイスと時刻表が張ってあり、駅としての機能はこの部分。ただし入るとすぐにスーパーがあり、こちらにもイスがある。スーパー利用者向けのものか鉄道利用者向けのものかは微妙なところだが、場所的には後者のような気もする

そして、この駅で重要なのは、扉の向こうですぐにお手洗いを借りられること。大鰐線内では、駅にお手洗いがあるケースが極めて少ない。今日は暑い日なので、そうでもないが、昨年3月の訪問時は、しばしば生理現象に見舞われるような日だった

そのあたりのことは昨年にも真っ先に書いている

スポンサーリンク

ここから再現しよう…のはずが

こちらが昨年3月10日の訪問時の写真。構内踏切の部分とベンチの部分は除雪してある

除雪の際に固められた雪は

高く壁を覆っていた。ちなみに雪がない今日は

このようになっている

ここでは列車を30分ほど待たなければならない。そんな風に待つのなら、わずか1・1キロの距離で、ほぼ線路沿いにある隣駅の聖愛中高前駅まで歩いた方が賢い。昨年もそうした。道中、2階まで届きそうな雪を見て驚いたものだ

外に出る

ここを真っ直ぐ進むと道なりで聖愛中高前駅に行ける。間違えようのないコースだ

1度歩いているし15分もあれば迷うことなく到着できる。ただ

暑いので歩く気力がなくなった

時間はちょうど正午。相当に暑い。しかも前述した屋内のイスの誘惑がハンパない。当然この部分は涼しい。ということで30分の待機である。すべての駅を訪ねなくてはならないというプレッシャーや義務感はないので、気楽といえば気楽

道路で見た矜持

その分、前回はできなかった周辺の散策を行うことにする。このあたりは学生さんも多い、それなりに大きな街である。聖愛中高前駅とは逆方向の道路にバス停があった。ここにも弘前駅に行けるバスが通っているのだろうと、どのぐらいの本数があるのかチェックしてみよう

すると

バス停の名称はなんと「西弘前駅前」ではないか。これはちょっと感動

先ほど引用した昨年の記事を見ていただければ分かるが、当駅は長らく西弘前駅として地元でも親しまれ、「西弘」という言葉もすっかり定着していた。ところが、駅名が突然変更されたため、地元では困惑する声が多かったという。駅舎と合築のスーパーは西弘店である

バス停の名前が西弘前駅のままだとは知らなかった。西弘前という駅は現駅名に名前を変えて18年にもなるが、停留所はそのままなのだ。初めて来た人は何のことか分からないかもしれないが、「初」の人は少ないのだろう。地元の愛着というか矜持を感じた

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~私にとっては衝撃の積雪の記憶をたどると…

※訪問は2026年7月16日

大鰐線から弘前駅へのアクセスは複数

中央弘前からこけしに見送られて出発。実は、この後どうやって弘前に戻ってくるのか決めていない。ホテルは弘前駅の近くに確保している。北海道&東日本パスも持っているので、昨年7月のように大鰐(大鰐温泉)~弘前をJR利用するのも可能だし、大鰐線のどこかの駅で下車してバス、そうでなければ、ここ中央弘前まで戻ってから弘前駅に行くのもありだ。前記事でも記したが、大鰐線の沿線では弘前駅に向かうバスが出ている駅がいくつかある。昨年の2回の訪問で知ったことだが、それはつまり中央弘前と弘前、両駅を結ぶアクセスが悪いが故の需要と供給という気がしなくもない

そして約10分。千年駅に到着した

スポンサーリンク

初訪問時は全く異なる景色

こちらには駅舎がある。大鰐線では貴重な部類の駅となるが、ホームから駅舎を見た景色はこの通り。分かりにくいかもしれないが、先に電車を降りた女性は日傘をさしながら歩いている。北国にしては、それほど暑くて日差しの強い日だということになる

それが昨年3月10日に訪れた時は、このような景色だった

駅とその周辺はすっぼり雪。駅の正面入口となる写真の右手となる駅前は除雪が行われていたが、裏口となる左手は雪が高く積まれたままで

少しの足跡があるだけだった

そして正面入口は

なるほど。このような感じになっているのかと、感慨に浸る。これだけを見ると何でもない駅前光景だが、私には駅舎入口にある清涼飲料水の自販機がまぶしい

その理由はというと

人の身長以上に高く積まれた雪。日傘とは真逆の光景だ。そしてこの写真では見えないが

先に進むと自販機が見えてくる。私自身、よほど印象に残ったのか

昨年6月に書いた記事で、しきりに自販機のことを書いている

このようなことを言うと、地元の方に笑われるか怒られるかもしれないが、気温が10度を超えている3月10日という日に、これだけの雪を見ることになるとは思わなかったというのが率直な感想だった。ちょっとした衝撃だった。寒い時に寒い場所に行くという行動をあまりしていないからだろうか、3月でも雪国にはこれだけの雪が残っているという知識はあっても、実際に目の当たりにすると、やはり驚いてしまう。これより少し前にも3月にどっさり積もる雪を見たことはあるが、それは東北新幹線の七戸十和田駅だった。やはり同じ青森県。だが、その時は新幹線の駅回りをしていてすぐに別の駅へと移動。もちろん新幹線での移動なので、即座にビューンと別の場所へと行ってしまう。ローカル私鉄にトコトコ揺られて降り、再びトコトコ揺られるのとでは場面の変化のスピードが全く異なるのである

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~まずは外せない中央弘前から

※訪問は2026年7月16日

最後は思いついた駅で降りてみよう

田んぼアート駅から弘前へと1度戻り、今度は弘南鉄道大鰐線を目指す。2028年3月での廃線が決まっている大鰐線には昨年の3月と7月に全駅訪問を行った

その多くが雪に埋もれた景色だった。今回は盛夏である。雪の景色が印象に残っている駅を再び巡ってみるのが、今回の意図。だから明確にどの駅で降りるとかは考えていない。車窓から見て思いついた駅、思い出した駅で降りてみるつもりだ。そして最も重要なのは、これがおそらく私にとって最後の大鰐線利用となるということだ

スポンサーリンク

弘前駅からは循環バスで

まず目指すのは、ここは外せない中央弘前駅である。弘南線と大鰐線のアクセス方法はいくつかあり、私も昨年2回訪れて本数の多いバス路線も頭に入るようになってきたし、歩くならどことどこ、という感覚も身についてきたが、ここは王道ともいえる土手町循環バスに乗車する。10分おきに出ていてJRの弘前駅から中央弘前駅のある街の中心地までを運んでくれる

ちなみにこちらが弘南鉄道の弘前駅に張られていた案内図。循環バスに乗車した場合の停留所も書かれている。150円バスと記されているが、IC乗車の場合は130円だ

昨年3月に弘前に来た時は中央弘前駅を利用したが、7月は大鰐線と弘南線を徒歩で移動したため、中央弘前駅は利用していない。だから昨年3月以来の訪問となる

当然雪景色はなく

前掲した地図にもあるように蓬来橋で下車。ご覧のようにこのあたりは弘前市の旧来からの繁華街の真ん中となる。JR(国鉄)の駅が街の中心地から離れているという典型的なパターンだ

バス停からは川沿いに歩行者専用道路を歩いていけば、すぐに中央弘前駅である

こちらを真っ直ぐに

駅の近くまで来てバス停の方向を振り返るとこんな感じ。そして昨年3月はというと

雪は随分と残っていた

もっと対照的なのは駐輪場あたりで

こちらはすっぽりと雪。の脇に数台の自転車があるが、これだけ雪が積もると、どこに自転車を停めるのか、さすがに地元の方でないと、分からない

センチメンタルなカウントダウン板

中央弘前駅である。何度見ても味わい深い駅舎だ。駅の周辺は旧来からの繁華街だが、街の開発は進み、新しいマンションなども建っていて古風な建物は少なくなっている。それだけに1952年(昭和27)の開業以来とされる駅舎は異彩を放つというか、大いに自己主張している

古風な改札にある古風な文字の数々。「発車時間の5分前から改札します」と書かれている通り、列車ごとの改札。弘南線は途中駅にも有人駅がいくつかあるが、大鰐線は大鰐駅と中央弘前駅の起終点のみが有人駅だ

そんなノスタルジックな中央弘前駅だが、現実に戻される場面もある

駅舎に掲げられたカウントダウンのボード。まだまだ日数があるようだが、こういうものは数字が減るのが早い。昨年3月の訪問時はまだなかったカウントダウンに、前日に訪問していた津軽線と同様、一気に感傷的な気持ちが押し寄せてきた

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ