きっぷ

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~「新」が目についてしまう簡素な駅舎

※訪問は2025年3月27日

バスで先回り作戦

上中駅からJR西日本バスの若江線に乗車する。乗ったのは小浜行き

まず小浜線の時刻表だが

8時44分の当駅着でやって来た。次の敦賀行きまでは1時間、小浜方面となると2時間もの空白がある

次いでバスの時刻表

8時55分の小浜行きがある。そこで考えたのが、バスで上中~小浜間のどこかの駅で降りて電車を待ち構える作戦だ。この区間内にある駅は東小浜と新平野しかないので、未訪問の駅となると必然的に新平野となる

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危険な「口」停留所

地方で路線バスに乗車する時はできれば小銭を用意、少なくとも千円札を所持しておくことが必要だ。IC乗車できないことが多々あり、コミュニティバスでは千円札の両替も困難なことがある。また近年はSuicaやICOCAなどのIC利用を取りやめる会社も出てきた。おそらくシステムの更新時にお金がもったいないからだろう。過去のデータを見て全国ICの利用が少なければ継続の意味がないと判断するのもやむを得ない

ただその点、JR西日本のバスならIC乗車はさすがに大丈夫。調べもしないで乗車したが、当然のようにピッとタッチして乗車した。このバスは過去3度ほど乗っているが、いずれも近江今津~小浜の始発~終点した乗車したことがないので新鮮だ

国道27号沿いの「新平野駅口」というバス停で下車。乗車時間は5分ほど。終点までだとぼんやりしているだけだが、停留所を逃さないために集中が必要。ちなみに料金は約5分の乗車で410円だった

ということで新平野駅口。これは過去に何度も経験して、記事にもしたが「○○駅口」というバス停は、まぁまぁ危険だ。下手をすると10分ほど歩くこともしばしば。ということで、さすがにこれだけは事前に調べておいた

徒歩5分と知って一安心。さぁ駅へ向かおう

駅名の由来は?

携帯アプリがない時代なら躊躇したかもしれない道をどんどん進んでいく。後で地図を見て分かったことだが、この地域には古墳が多い。古くから人の営みがあり、地域を治める有力者も多かったということだろう

飛び出し坊やにもあいさつをして

新平野駅に到着。ご覧の通りの簡易的なコンクリート駅舎。開業は1918年(大正7)で上中駅や大鳥羽駅と同じ。ここに線路ができた時からの一期生ということになる。かつては開業時からの駅舎があったようだが、JR移管後に現在の形となった

かつてはすれ違い可能な構造だったようだが、早々に棒状化そして無人化されている。貨物の取り扱いもあったようで駅前は広いが、それ以外に貨物を連想させるものはない

駅の北側には農地が広がる

そしてどうしても目につくのは「新」の駅名である。開業時、当駅は松永村にあった。駅の北側は宮川村(現在はいずれも小浜市)。平野は今も残る小浜市の地名で駅の住所は小浜市平野。村と村の境界近くにあるため村名を駅名にするのは避けたと想像できるが、なぜ「新」が付けられたのかは調べたが分からなかった。「平野」は全国に見られる地名で、大阪市の関西本線には明治期以来の平野駅があり、重複を避けたとの推察も成り立つが、あまりにも遠い。それならば路線内の他駅にならって「若狭平野」ではないのか。大正期に付けられた駅名ともあって結局は今もナゾのままである

ちなみに駅近くの郵便局は新平野郵便局だったが、他では平野が使われているようだった

こちらはホームから見た駅舎

駅舎内には待合室と自動販売機。他駅ではゆっくりできなかったので熱い缶コーヒーを、と一瞬思ったが

こちらを見て自粛しておいた

まだその季節ではないが、のどかなイラストに心が和らいだ

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~びわ湖からの直通列車を待ち続けた駅

※訪問は2025年3月27日

ちょっとしたトリビア

大鳥羽駅から2駅小浜方面へと戻って上中駅で下車。福井県の地図というか形をなんとなく思い浮かべてほしい。滋賀県の北側に覆い被さるように東西へと京都府との府県境までの地形。京都府との境に近い青郷駅が最西端なのは、すぐ理解できそうだが、最南端も小浜線内にあり、それがここ上中駅なのだ。北陸本線で滋賀県との県境となる新疋田駅あたりを思い浮かべそうだが、新疋田より南側に位置する駅は小浜線内には数多くある

敦賀を出た小浜線は若狭湾に沿って西へと向かっていくが、前記事で紹介した大鳥羽駅あたりから南へと進み、ここ上中駅あたりから再び西へと進む。ただこれは開業時の村や集落、地形に沿って進んだものであり、決して無理に南へ向かったものではない。運命共同体ともいえる敦賀から舞鶴まで並行する国道27号も同じようなコースをたどっている。もっとも現代に建設された若狭舞鶴自動車道については、地図で分かるように小浜から最短コースで上鳥羽駅近くまで建設されていて、いろいろな意味でスピードでは全くかなわない

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自治体名変更で駅名も変更

上中駅は1918年(大正7)の開業。大鳥羽駅と同時期の開業。両駅の間にある若狭有田駅の開業は、戦後になってから。当初の駅名は「三宅」だった。三宅村に所在したからだ。1954年に大鳥羽駅のある鳥羽村などと合併して上中町が誕生。直後に駅名も現在のものとなった。上中駅となったのは町の代表駅となったため。平成の大合併で若狭町となったが、駅名はそのままとなっている

駅舎は2005年(平成17)に建て直されたもの。2階は多目的スペースとなっているようで

簡易委託駅。私の訪問直前の3月11日まではみどりの窓口があった

待合所にはサボのほか、ホーローの駅名標も保存されていた。なぜか小浜駅のホーロー板まである

目を引いたのは

こちらの張り紙。近江今津から当駅を結ぶバスの定期、乗車券を駅の窓口で販売しているとある。これが当駅の歴史を語る上での重要なことなのだ

大正期から計画された悲願

駅舎内には西日本JRバスの運行する若江線(じゃっこうせん)の時刻表がある。お昼前から夕方にかけて1時間に1本。湖西線の近江今津駅から上中駅を経由して小浜駅とを結ぶ。運行時間帯だけを考えると小浜線より本数は多い。そして路線バスをJRが運行しているのがポイントでもある

敦賀からやってきた国道27号と近江今津からやって来た国道303号は、ここ福井県最南端の駅でもある上中駅付近で合流する。このルートは大阪や京都方面から最短で小浜を目指すルートとして定着しているが、元々は鉄道で結ぶ予定だった。もちろん小浜線との合流は上中駅。湖西線は戦後の話で、計画は大正期からすでにあり、私鉄の江若鉄道が昭和初期に近江今津まで敷設すると、国鉄のバス路線も開通。この頃は、あくまでも鉄路で結ばれるまでの暫定的なものだったが、戦後30年近くが経ち湖西線が開業しても計画路線のまま。JR移管後もさまざな計画があり、バスも江若交通との共同運行の時代もあったが、現在は西日本JRバスのみが運行を続けている。結果的に悲願とともに90年近い歴史を誇る路線となった

結果的に北陸新幹線の小浜ルートが決定したことで計画そのものもなくなった形になっているが、その小浜ルートも怪しい雰囲気になっているのも事実である。このバス路線については、あらためて紹介したいと思う

駅前には若江線乗り場のロータリーがある。ただ、ここに来たのはバス施設の写真を撮るためだけではない。今からこのバスに乗車するためだ

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~古風なビルが駅舎の貴重な存在

※訪問は2025年3月27日

1時間以上かけて

大鳥羽駅にやって来た。東舞鶴を7時15分発の列車に乗って到着は8時26分。路線図を見ると小浜を過ぎていて敦賀の方が近い。ローカル線の駅訪問にわざわざ1時間以上もかかる場所に宿をとるのは効率が悪い。これにはいろいろな理由があって、小浜駅周辺に手頃なビジネスホテルがなかったこと、敦賀駅周辺のホテルが高くて尻込みしてしまったことなどがあるが、結論からいうと一度東舞鶴に泊まってみたかったのである(笑)

また前日の道中で時刻表の見誤りに気づいて修正したところ、東舞鶴に近い駅の訪問がサクサク進んでしまったことも朝から1時間以上のローカル線乗車につながった

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荘園に基づく

大鳥羽駅の開業は1918年(大正7)。前年に敦賀から十村まで開業した小浜線が小浜まで延伸される際に設置された。当時は鳥羽村に所在。鳥羽村は戦後の1954年に周辺の村が合併して上中町となり、平成の大合併で若狭町となった

小浜線の沿線は京都との結びつきが強く、その分歴史も古い。地名の由来は鳥羽荘という荘園に基づき、鎌倉時代の文献にすでにその名が残る。荘園の名前については現在の鳥羽川が流れていて、川を渡るための「渡場(とば)」が転訛したのではないかと考えられている。鳥羽荘の中心地だから大鳥羽。明治の町村制施行まで大鳥羽村があった。駅周辺の地名は今も大鳥羽。明治期に開業していた参宮線の鳥羽駅との重複を避けたかどうかは不明だが、地名がそのまま駅名となった

駅周辺は今も旧鳥羽村の中心地となっている

ちなみに駅近くの周辺地図を見たら

さすが古い町らしく読めない地名が多数あった

駅舎はもともとJAのビル

駅構造は1面1線の棒状ホーム。最初の写真を見ていただければ分かるが、島式ホームにするスペースは設けられているので、その予定はあったのかもしれない

ホームから駅舎に向かうと2階建てのコンクリートの建物に入るようになっている

外に出ると2階建てとはいえ立派なビルだ。当駅はもともとJAとの合築だった。JR移管後の1988年に建てられたもの。88年といえば、89年の年明け早々に平成となったので昭和のほとんど最後に当たる。昭和から平成、令和と地域を見守り続けている

これまで取り上げたことはほとんどないが、全国各地に行くと駅のすぐ近くでJAの建物に遭遇する。理髪店が見守る駅として紹介した小浜線の加斗駅近くにも建物があった。人がいるのかいないのか不明な建物もあって触れにくいのだが、閑散とした無人駅の近くでぼんやりしていたら、中に誰もいないと思われるJAの建物の前まで車がやってきてATMコーナーに入り、再び去っていくという光景も何度も見てきた。かと思うと

弘南鉄道弘南線では、巨大駅ビルとなっているJAにも出会った。いろいろなケースがあるが、地方の町では重要なんだなぁ、といつも感じる

現在JAは撤退して「若狭ものづくり美学舎」が入居している。こちらが営業している時間帯は簡易委託としてきっぷ販売を行っているようだ

これまで紹介したように小浜線の駅舎は電化後に大きく変わったものが多い。昭和からのたたずまいを残す貴重な存在である

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~舞鶴など昔の話

何事も今のうちに

こちらは前日の17時40分に東舞鶴駅に到着した際のホームの様子。小浜線から舞鶴線へすぐ乗り継げるようになっている。何の気なしに撮った写真だが、しばらくすると車両が代替わりして、かなり時間が経ってから「あの時乗ったなぁ、見たなぁ」と思うことがしぱしぱ。すっかり様変わりするのは駅だが、車両については全く専門外の私でも懐かしさのあまり写真を眺めてしまう。つい先日、青春18きっぷで岡山へと出向いた際、赤穂線に乗ると「食パン改造車」に出会った。以前は「ラッシュ時にこんな2両編成に詰め込むなんて酷いな」と思っていたものだが、もう間もなく姿を消すと思うと感慨がこみ上げてくる

もっとも北海道で話題となったキハ40についてはJR西日本では広い範囲でバリバリの現役。いわゆる「タラコ車」だが、こちらはまだまだ主役の座から降りそうにない

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早朝の東舞鶴を歩く

朝は悠然とバイキングの食事でスタートする。今日についてはのんびりと駅訪問をしながら敦賀へと向かうつもり。どうやっても今日だけで全駅訪問は無理なので、気候が変わったころに再訪の予定。また同時進行のように湖西線の各駅訪問も行っていて、いくつかの駅で降りながら帰路へとつく。湖西線も小浜線同様に北陸新幹線の影響を受ける可能性のある路線で、こちらは今後の様子を見てから記事化したい

まだ7時になっていないアーケードを駅に向かって進む

「ようこそ」の案内表示にロシア語まで入っている

駅の改札口には7時前に到着。有人になるのは8時からだそうで、随分遅く感じるが、ここから出発する人より8時ごろから降りてくる人の方が多いのだろう

こちらが時刻表。京都までの特急が8本もある。この特急は福知山駅で大阪方面への特急と神業連絡を行うが、小浜線と比べ随分と待遇が違う。しかも始発が5時台なのに比べ、終電は20時39分しかも小浜止まりと店じまいも早い。流動の特性がこのようになっているのだろう

駅で見た写真

改札の外にもお手洗いがあるのでま繁華街とは逆方向の出口に行くと、かつて多くの線路が並んでいたと思われる場所は芝生広場。規模の大きさを感じる

そして駅構内の写真。軍港だった舞鶴は終戦と同時に引き揚げの舞台となる。国外にいた日本人の多くが戦後3年でほぼ帰国したのに対し、ソ連によるシベリア捕虜抑留もあって、ソ連からの帰国は遅れ、最後の帰国は1958年と戦後13年も経ってから。舞鶴港へ最初に帰国船が到着したのが1945年10月7日で、舞鶴市では10月7日を「舞鶴引き揚げの日」としている。以降、66万人もの人が舞鶴港へ引き揚げてきた

30年以上前、当時港で取材した元新聞記者の方に話を聞いたことがある。引き揚げてきた人、迎えた家族、引き揚げ船が着く度に夫を探す家族の話はいずれも中身の濃い話だった

と同時に原稿を送る苦労も聞いた。今のようにネットにつなげば写真を送れる時代では当然なく、FAXなんてものが登場するのは何十年も後だ。原稿については電話で吹き込む(電話で原稿を読み上げて会社にいる人が原稿用紙に書く。私もギリギリその時代を知っている)ことができるが、写真についてはそうはいかない。有力な送信手段は伝書鳩だった。ハトの足にフィルムを装着して「空輸」する。訓練されたハトは無事、大阪まで運んでくれたそうだが、ハトにも個体差があって締め切りに到着しないこともしばしば。「○○新聞のハトは優秀やった。うちのはアカン」と30年以上前のことをボヤいていた

さらにもうひとつ、これは舞鶴とは関係ない余談だが、今から70年前の大阪鉄道管理局。建物は平成の声を聞いても大阪駅の北側にまだ残っていたと思うが、そこに詰める鉄道担当の記者には「国鉄パス」なるものが国鉄から与えられていた。全国の国鉄路線が年中乗り放題という大判振る舞いなもので、携わった方は、ほとんどこの世を去っていると思われるので、その頃の話をすると、新幹線などというものは走っていない時代、顔写真も張っていないパスは重宝され、社内では夏休みの日程を社員がそれぞれ割り振って使い回ししていたとか。その後、とある新聞社が「国鉄が記者にこのような便宜をはかっている」という記事を出して、そのパスもなくなったという。今だったらあっという間に世の中に拡散して大変なことになりそうだが、ある意味牧歌的な話ではある

話は随分横道に行ってしまったが、閑話休題

1時間以上トコトコと揺られて棒状ホームの駅で降りた

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~東舞鶴に宿泊して知ったこと

※訪問は2025年3月26日

京都府の一部も金沢支社の管轄

小浜線の終点となる東舞鶴駅に到着。以前は多数の側線を持つ大きな駅だったが、今は高架の島式1面2線のみの駅となっている。当駅までが小浜線、当駅より先が舞鶴線となっていて線路はそのままつながっているし、一見すると途中駅のように見えるが、運行は完全に分断されていて、列車によっては短い乗り継ぎ時間で、そのまま前進できる

小浜線はJR西日本の金沢支社の管轄となっているため、小浜方面からやって来ると、当駅の手前までが金沢支社の管轄つまり松尾寺駅も含め、近畿2府4県となる京都府の一部まで金沢支社の線路と駅があることになる。東舞鶴駅は帳簿上では舞鶴線の所属となり、駅そのものは近畿統括本部の管轄となっている

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全く異なる東舞鶴と西舞鶴

東舞鶴駅は高架駅。地上駅時代だった以前とは駅の様子もすっかり変わり、管理駅の座も降りているが、重要駅であることに違いない。到着が17時40分だったということは、写真を改めて見て思い出したのだが、春を間近にこの時間帯でもまだ明るい

今日は東舞鶴に宿泊する。朝に長浜を出て小浜線内をウロウロしながらここまでたどり着いた。駅を降りるとすぐに大きなアーケードがあって街の規模を知る。駅は過去に何度か来たが、街を歩くのは初めて。もちろん宿泊も初めてである

前回の若狭高浜駅の記事で高浜町が舞鶴の経済圏にあることを初めて知ったと記したが、初めて東舞鶴に宿泊して知ったことがある。こちらについては「そんなことも知らなかったのか」と言われそうだが、事実なのでしょうがない。それは「東舞鶴と西舞鶴は全く別の町」だということ

あまりに鉄オタ生活が長くて、全国にある「東○○駅と西○○駅」の違いぐらいにしか思っていなかったが、古くからの城下町である西舞鶴と軍港として発展した東舞鶴は全く性格の異なる都市で、別の自治体だった。西舞鶴地区は元々が舞鶴町、東舞鶴地区は新舞鶴町という自治体で、昭和になって、それぞれが舞鶴市、東舞鶴市となり、戦時中に軍の意向もあって合併して現在に至る

確かに駅の歴史を見ると、開業はともに1904年(明治37)11月3日と同じ日だが、西舞鶴駅は舞鶴駅、東舞鶴駅は新舞鶴駅としてスタート。つまり自治体名と同じ駅名だった。といっても駅名だけ眺めると、すっかり新幹線の「新○○駅」に慣らされてしまった現在は、同じ自治体にある駅と思ってしまいそうだが

駅から徒歩で10分ほどのホテルに宿泊。チェックインの手続きをしている間にあたりはすっかり暗くなっていた

2食付きのプランを選択。最近は外に出るのがおっくうなのと、コスト的な両面で、このようなプランがあれば積極的に利用している。館内のレストランでシチューの夕食を摂り、後は近所のコンビニで購入した酒とつまみを部屋でチビチビやりながら長浜からの1日は終了。明日は今日とは逆にゆるゆる敦賀方面を目指すことになる

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~高浜町の中心駅かつては優等列車も停車

※訪問は2025年3月26日

夕陽が迫る中の訪問

若狭高浜駅に到着したのは17時ちょうど。3月末の訪問は夕陽が迫っている

観光名所の入った顔出しパネルのお出迎え。駅名から想像できるように高浜町の代表駅である

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生まれ変わった駅舎

開業は1921年(大正10)。小浜から当駅までが延伸された際に設置された。翌年に東舞鶴まで延伸されて小浜線は全通した。前回の青郷駅の記事でも触れたが、延伸時は府県境を越えた松尾寺までの約10キロ、途中駅はなかった

ホームは2面3線構造。小浜線というローカル線での3線ホーム。これだけで、かつては主要駅だったことが想像できるが3番線は日常的には使用されていない。それでも線路そのものは現役でレール磨きなどを兼ねて、たまに列車が入ってくる。かつては小浜線にも急行が走り、金沢から日本海側を通って出雲市に到達するという、今にして思うと夢のような列車が走っていた。当駅はその停車駅だった。名古屋始発の急行もあった。すでに金沢や福井にはJRの在来線は走っておらず、宮津や天橋立も三セク化されたが、年に1度のリバイバルでも運行されれば、あっという間に座席は埋まってしまうだろう

駅舎には観光協会も入居している。きっぷ販売は簡易委託で行われている。実は訪問日の2週間ほど前にみどりの窓口の営業が終了していてタッチの差で間に合わなかった

駅舎は2階建てで「まちの駅・ぷらっとHome高浜」との合築で2階はギャラリースペース。現在の姿になったのは2007年(平成19)。それまでは開業以来の木造ながらも洋風テーストの味わいがある駅舎だった。駅舎が立派になるのは良いことだといつも言っているが、以前の写真を見ると、これはちょっと惜しい気がする

駅周辺は高浜町の中心部

当駅にも張り板があるが、ニュースでも取り上げられる高浜発電所は、当駅から見ると京都府寄りにあり、最寄り駅という表現が正しいかどうか分からないが三松駅や青郷駅の方が近い

こちらは舞鶴の都市圏

駅前で目を引くのは

こちらのバス停。これだけだとピンと来ないかもしれないが松尾寺駅の記事で紹介した路線だ。当駅から小浜線に沿うように走り、もちろん三松駅や青郷駅の近くも通って東舞鶴へと向かう。県境を越える路線バスというのは珍しい存在で、ここが舞鶴と結びつきの強い地域であることが分かる

運行は平日に5本。こういうのは現地に行かないと、なかなか知識を得られないもので、何年か前に山陰本線の閑散区間である益田~東萩の各駅を訪問した際、鉄道だけではとても回りきれないのでバス路線を調べたところ、山口県に入って4駅先の須佐駅まで、それなりの本数のバスがあることが分かり、かなりお世話になった。益田からすぐ県境に入り、そこは萩市だが、萩市になったのは平成の大合併からで、今も益田と結びつきの強い地域であることを知った

日没がそろそろやって来るようだ。本日は東舞鶴に宿をとってある。舞鶴市へと向かうことにしよう

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~福井県最西端の駅は大きなログハウス

※訪問は2025年3月26日

京都府はすぐそこ

青郷駅へ到着。時間は16時すぎ。本格的な春を前に1日は徐々に長くなっている。ただ若狭湾に面した各駅の桜はまだ動きを見せていない。雪の季節が終わって、さぁこれから、といったところなのだろう。ご覧のように1面1線の棒状駅

駅は高台にあり、階段で駅舎と改札へと向かう。屋根の形状で駅の規模が想像できる

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戦時色強い中での開業

青郷駅の開業は1940年(昭和15)。小浜線の全線開通は1922年(大正11)で、戦後10年以上が経ち、SLから気動車へと車両が変わったことで7つもの駅が開業したことは前記事に記した。ただ全通以降、こちらもすでに紹介した若狭和田駅が1925年に海水浴場用の停車場として開業したこと以外に大きな変化はなかったが、戦時色が強まったこの時期に駅が設けられたのは若狭高浜~松尾寺の約10キロもの間に駅がなかったこともある(三松駅は戦後の設置)し、このあたりまで舞鶴の軍港域が広がっていたことも大きい

当時は青郷村。戦後の1955年から高浜町となった。高台を走る線路に後から設置されたのでホームは昔と変わらず狭い

階段を降りて駅舎へと入る。丸太で造られた建物が下車した利用者を出迎えてくれる

駅舎には「ロッジ青葉」と書かれている

駅は簡易委託だが、水曜と日曜は窓口は終日閉まっていて、私が訪問したのは、たまたま水曜日だった

立派な待合室があるが、窓口が閉まっていると中には入れないようで施錠されていた

中をのぞくと立派な部屋で冬用にストーブもある。無人の時にストーブはさすがに点けられないだろうが、中に入れないのはちょっと残念

ロッジ青葉と名付けられているのは、若狭富士とも呼ばれる青葉山登山の拠点となるため

駅舎はまさにロッジ。もともとは開業時以来の木造駅舎だったが、電化後の2004年(平成16)に現在の姿に生まれ変わった

駅のふもとに広がる街

向こうに駅舎が見えるが、駅前の坂を降りると町に出る。このあたりは元々「青村」といって青郷村の中心部だった

国道沿いに商店や郵便局がある。京都方面へ車を走らせるとやがて町並みは途絶え、府県境へと向かう。当然ながら福井県最西端の駅だ

峠の青葉トンネルを抜けるとやがて松尾寺駅。途中に駅名となった松尾寺もある。距離にして5キロ。車だとあっという間だ。ただ現在は車であっという間でも峠を控えた青村は古くから交通の要衝で鎌倉時代には文献に登場。駅付近の地図を拡大していただければ分かるが青城という城を中心に戦国時代までは地域を治めていた

開業時から残るものも

駅へと戻ると三松駅にもあった「電源立地特別交付金施設」(三松駅は電源立地地域という表記だった)の張り板。こちらについては前記事で自分の考えも述べたので、ここでは特に触れない

ただ20年前にすっかり生まれ変わった青郷駅だが、変わらぬものも残されている

ホームにある瓦屋根の待合所。加斗駅で見かけたものと同じような造りだが、駅舎は生まれ変わり、ホームへの階段に立派な屋根ができても、こちらはそのまま。おそらく駅舎からホームに向かうには階段を昇る必要があるため、ギリギリにならないよう残されたのだろう

財産票はしっかり残されていた。駅の開業は昭和15年の11月1日なので、まさにこの駅と同じ歴史。この小さな待合所で85年前に列車を待った人と同じ空間を味わえようになっている

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~簡素な棒状駅が駅舎で見違えるように

※訪問は2025年3月26日

意外と難読な駅

加斗から約20分。三松駅にやって来た。高浜町にある若狭和田駅から小浜市の加斗駅に行き、再び高浜町に戻ってきたことになる。読みは「みつまつ」。意外と難読だ。初見だと読めない人の方が多いのではないか

ご覧の通りすれ違いのできない単式ホームのみの構造だ

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もともとは待合室のみの駅

開業は戦後の1961年(昭和36)。小浜線はこのころから無煙化され、気動車が投入されたことで細かく停車することが可能になった。敦賀と東舞鶴をのぞくと全21駅の小浜線だが、3分の1にあたる7駅が昭和30年代の開業だ。この頃になると国鉄も意識が変わっていて駅=駅舎の意識はなくなっていて、待合所のみの簡素な構造の駅が全国で設置されている。この7駅もいずれも単式ホーム+待合所のみの駅だった

「だった」と記したのは当駅においては事情が異なるからだ

現在はラ・ポルト三松という洋風のおしゃれな駅舎が建てられている

ガラス張りの駅舎にはお手洗いもある。春が間近の3月末とはいえ、若狭路はまだまだ冷え込む。利用者にはありがたい構造だ。車いす用のスロープも設置されている。小浜線は2003年に電化されたが、その後の2005年に新たに駅舎が建てられ、駅前の駐車場が整備された

駅の目の前を国道が走っていてロードサイド店やコンビニもある。少し歩くと海岸に出て海水浴場がある。2023年度の1日あたりの利用者数は156人。路線内では前回まで紹介した加斗駅の108人を上回っていて、主要駅のひとつである三方駅とほぼ同数だ。ただし路線内には駅舎のないホーム+待合所の構造ながら当駅より利用者の多い駅は存在する

張り板に目がいく

駅で目につくのは

柱に張られた板。簡単に言ってしまうと原発によって駅舎が建てられたということになる。このように紹介すると「原発のおかげで造ってもらった」という、どちらかというとシニカルな意見が必ず出てくるが、私が思うには、これは地域の選択なのだから外部から何も言うことはない。それなりのリスクを背負って受け入れたわけである。まず私には自分の暮らす町に原発がやって来る、やって来るかもしれないという経験をしたことがない

そもそも「電源立地地域」の駅の張り板は何も原発に限ったことではなく、大糸線の沿線でも見かけた。こちらは水力発電所によるもの。張り板がイコール原発と考えるのは、ちょっと違う

「降り鉄」としての意見を言わせてもらうと駅が立派になるのは良いことだ。このような寒冷地で日々利用する100人以上の方は喜んでいるはず

ただその一方で、このように路線内の駅が立派になって、わずか20年で廃線へ向けた動きがあることが話を複雑にしているのも事実である

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1年間ありがとうございました~2025年をふりかえる…その3

九州で強い味方

例年、暑さゆえあまり遠くまで行かない8月ですが、こちらもまたタイムセール航空券の都合で2度もお出かけ

6日に東京で用事があったのですが、ホテルの高額ぶりに都内には泊まらず近頃恒例となった千葉に宿泊し、そこから青春18きっぷを利用して総武本線と成田線をウロウロ。その日のうちに帰宅して残り2日間は近場で済まそうと思いきや

17時に東京駅に着くと沿線火災で運転見合わせ。ちょうどストップした直後だったようで、常磐線の中でエクスプレス予約を操作している間は告知が出ておらず、ここで再開のめどが立っていないと聞かされる。過去にも新幹線のストップは経験していますが、再開直後はバカ混みしている上、下手をすると在来線の終電が終わってから新大阪駅に到着という地獄パターンの可能性は大いにあるので急きょ予定を変更。帰宅ラッシュが始まってなんとか座れた東海道線の中で平塚のホテルを確保して平塚に宿泊しました

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真夏につき、汗だくになる可能性もあるため着替えを1日分、多めに所持していたことと、その気になればどこまでも行けてどこでも降りられる18きっぷのおかげで助かりました

ということで翌日は東海道線を下りながら御殿場線の駅を堪能しながら浜松までたどり着き、そこから新幹線に乗車して帰宅。残り1日分の18きっぷは小浜線の仕上げに使いました

26日からは九州へ

ようやく念願かなった南阿蘇鉄道に乗車。そして2日かけて全駅訪問。決して本数が多いとはいえないので珍しく観光などしましたが

白川水源がとても良かったです。夏は冷たく冬は温かいという年中一定の温度を保つ新鮮な水が本当においしかった。阿蘇牛のステーキ丼を食べたのですが、そこの店舗で出される水が白川水源のもので暑かったこともあり、ガブガブ飲んでしまいました

1年で2度九州に行き、ともに利用したのは旅名人きっぷで当然ながら新幹線を含め特急の乗車はゼロ。ただ私鉄や三セクにも乗れるこのきっぷは本当に強い味方でした

9月以降はひたすら私鉄と三セク

8月の反動からか9月以降は動きが鈍化しました

9月は名古屋に行くついでに豊橋鉄道渥美線の全駅訪問を行ったのみ。こちらは平日は15分に1本、週末も20分に1本の運行があるので気楽でした

強めの旅は10月の長良川鉄道。18日からダイヤ変更で運行本数が減少するということで予定を前倒しにして4、5日に訪問。2025年の旅は天候に恵まれたと前記事で記しましたが、その反動が一気に出てしまったかのように2日とも本格的な雨が降り続き、岐阜の山中は寒かった。もしもに備えて持参したセーターが大いに役に立ちました。こちらもそのうち記事化したいと思います

11月は長野県の旧友のもとへ。こちらは鉄オタ旅ではなかったので初めて地獄谷へ向かい

暖かい日だったのでサルの入浴は当然なく、入り口で「今日はサルの目撃情報がありません」との了承のもと入園料を支払ったのですが、突然1人だけ現れたサルさんの撮影会が始まりました

この後は11月に山陽電車の1日フリーパス、12月にJR西日本大阪近郊エリアの1日QRコード乗車券のみの利用となりました

2026年はどこへ?

1年前の記事で「今年は私鉄と三セクに力を入れる」と書きましたが、結果的にその通りになりました。さまざまな駅を紹介してきましたが、最近のJRの記事といえば、津軽線、日田英彦山線とJRの路線ながら列車は走っていないものぱかり。廃駅を待つばかりの秋田港駅もありました。「現役の」JR路線といえば、大糸線の全駅下車を達成した(厳密には1駅残っています)4月24日の記事が最後で年末に始めた小浜線まで8カ月も記述がありません。これにはいろいろな要素があってJRの駅訪問を行っても中途半端な虫食いに終わっていて路線全駅として紹介するに至っていないことが大きく、また18きっぷのルール変更で身動きが取りにくくなったこともそこに加わります

今年もそのようなきっぷの縛りに負けることなく、各地へと赴いてみたいと思っていますが、ちょっと困ったことといえば、クマの出没情報です。東北方面といえば、この2年は3月に平日キュンパス、7月に北海道&東日本パスを利用して向かっていて、今年も少なくとも夏の北海道&東日本パスは利用しようと思っていました。特に廃止予定の津軽線にはいくつか未訪問駅があります。ただ当然ながら、それらは駅はあってもバスでしか立ち寄れない場所ばかりで、どうしようか、と思案しているのが正直なところ。怖いのは当然ですが、目撃しただけで地元の警察や役所、消防署に迷惑をかけることになります。今年の夏あたりまでは想像もしていなかったことですが、春以降の状況を見て考えなければと思っています

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1年間ありがとうございました~2025年をふりかえる…その2

最も印象に残った旅

5月は今年一番印象深かった日田英彦山線BRTに乗車

こちらもタイムセールで確保した航空券とともに大分まで飛び、杵築から日豊本線を北上。自分の予想をはるかに越えた大きい街だった行橋で宿泊して

平成筑豊鉄道で田川を目指します。この区間は2年前に豪雨と直面して乗車できなくなった場所で今回無事に完乗。そのまま田川伊田、田川後藤寺、添田を経て乗車。JRが運行して鉄道のきっぷも有効という意味では、最後の路線となったこの区間

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最初は完乗が目的で、いくつかの駅で降りられたらいいな、ぐらいの気持ちでしたが、乗車しているうちに「これはもっと見て回りたい」と急きょ予定を変更。たまたま日田に宿をとっていたことも幸いして、ほぼ2日間張り付きに

私の知識は一般道路を走る区間とBRT専用軌道の区間があるぐらいのものだしたが、すべてをバス路線にしてしまうと、道路事情から福岡県と大分県の県境にある東峰村をほとんど素通りしてしまうことを知る

本数が少ないので初夏の季節に1駅間を1時間近く歩くことになりましたが、雄大なめがね橋の景色を眺めることができ、当時の難工事を知ることもできました

駅舎崩壊後、地元の手によって再建された大行司駅とホームへの階段は深く印象に残ります

また区間内にあるいくつかの駅が改築されたばかりだったことも知り

県境にまたがるように造られた駅や

別区間の徒歩で見た路盤にも思いをはせることができました

最後の週末パス

6月はその月いっぱいでの終了となった週末パスを利用すべく、仙台空港へと飛ぶ

18きっぷの変更もそうですが、関東から南東北、甲信越の私鉄や三セクにも乗車できる上、特急料金を払えば新幹線や在来線特急にも乗れる週末パスの終了は痛い。駅訪問というジャンルにおけるアイテムがどんどん減っています

仙山線を山形へと向かい、愛子や山寺などでも降りましたが、意外とうれしかったのは東北福祉大前駅での初下車。東北福祉大OBの方には仕事柄数多く出会いましたが、実際に駅で降りたのは初めて

こちらはインバウンズも含め、大いににぎわっていた山寺駅

そして山形鉄道フラワー長井線にも終点の荒砥まで初乗車

JRのままだったら、とうに姿を消していたかもしれない登録有形文化財の駅にも行くことができました

今年も北海道&東日本パスでふらり東京から

6月はこのほかにも陽の長さを生かした小浜線訪問。そして7月の声を聞くと

前年も行った北海道&東日本パスでのふらり東北旅。駅を降りつつ、宿は行ける所まで行って当日確保というもので、昨年と違って今年は道中一泊のみで青森まで到達しなければならず、慌ただしさもありましたが、それなりに楽しむことができました。実はこちらも記事化できていません

この旅の大きな目的が2つあって、ひとつは正式廃線へカウントダウンとなった津軽線の蟹田以北への訪問。そして

3月に積み残した弘南鉄道大鰐線の残り駅訪問と弘南線の各駅訪問

猛暑というより酷暑の影響は東北地方も例外ではなく、夏場は35度という日も珍しくなかったようですが、なぜか私が青森に滞在した数日間は最高気温26度という日が続き、早朝の列車に乗ると長袖の人も珍しくなかったほど。3月訪問時の暖かさといい、2025年はおおむね気候には恵まれました。もっとも、その後に大きなお返しが来るのですけど

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