私鉄

復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~元「日本一」の駅はどんなところ?

※訪問は2025年8月26日

今でこそネットの発達によって駅の情報が手軽に入手できるようになったが、「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅が開業した1992年(平成4)ごろ、駅の情報はほぼ何もなかった。鉄道知識を得るための有力な手段のひとつは文庫本サイズの鉄道雑学の本だったが、その手の書籍には必ずといっていいほど当駅についての知識つまり日本一長い駅名だということは掲載されていたが、一体どんな駅なのか、周囲に何があるかについては、ほとんど触れられていなかった。というか駅の写真すらなかったと記憶する。そのころは鉄道会社にお願いして「駅の写真を添付してメールで送ってください」という手法はとれなかった。今にして思うと執筆にあたった方は実際に駅で降り立ったことはなく、情報だけを集めて本を作っていたのではないかと推察してしまうのだが、当時はただただ「そんな駅があるのか」という興味があるだけだった

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正十二角形の木造駅舎

駅舎はご覧の通り、時計台を持つ木造駅舎で開業以来のもの。正十二角形という独特のフォルムが目を引く。そういえば三セク移管されて最初の高森駅も時計台を持っていたし、阿蘇白川駅にも立派な時計台がある。見晴台駅も駅の正面に立派な時計がある

駅舎の中には古書店が入居している

私の訪問日は営業日ではなかったが、週に2度ほどの営業で南阿蘇村では唯一の書店だという。駅ピアノも置かれている。実はこの日、当駅で降りたのは私だけではなかった

ご覧の通り、駅周辺には特に何があるわけではない。平日のお昼14時に降りる人がいるとすれば、ほぼ同業者(鉄道ファン)だろうと思っていたら、驚くことに女性の3人組。どう見ても旅の観光客だ。「ここで本当にいいんだよね」などと会話している。どうやら周辺の宿泊施設を予約していて車での出迎えを待っているようだが、車が来るまでの間、ピアノの音が鳴り響いていた

昔は日本中の駅にあったよなぁ、と思い出させてくれる伝言板が残されている。駅ノートの役割を果たしているようだ。また駅前には特に何もないと記したがレストランがあってちゃんぽんが有名な地元の人気店のようだが、どうも私が訪れたのは火曜日で定休日だったようだ(いずれにせよ私の道程ではランチタイムに間に合わなかった可能性が高い)

注目の車内アナウンスは

ここで前記事にも掲載した駅前の周辺案内図を再び。、右下部分から中央に目をやっていただくと周辺にはさまざまな水源があることが分かる。先に掲載したグーグル地図でも、そのあたりはよく分かる「南阿蘇水の生まれる里」のゆえんである

ちなみにこの記事を書いている私のPCでは駅名は一発変換できないし、予測言葉にも出てこないがスマホについては予測言葉として登場した

さて私がもうひとつ楽しみにしていたのは車内アナウンス。読みで22文字にも及ぶ駅名をどのように語るのかと思っていたら、ワンマン運転の録音されていたアナウンスから流れてきたのは「次は『はくすいこうげん』です」のたった8文字の読み。まぁ、それはそうですよね

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~路線内「最も有名な駅」の大駅名標に圧倒される

※訪問は2025年8月26日

30年来のあこがれの人に出会う心境

結果的にすべての駅を訪問できたが、不測のハプニングに見舞われた場合も絶対に降り立たなければならないと思っていたのが、こちら「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅

この記事を読んでくださっている方なら、お分かりだろう。日本一長い駅名として長らく高い知名度を誇っていた駅だ。鉄道も含めた雑学クイズでの出題率も高かった。もちろん私もその存在はずっと知っていたが、なかなか来る機会な恵まれず、こうしてようやく初訪問できた次第。開業が1992年(平成4)なので30年来のあこがれの人に会う気持ちだ。もちろん気分は高まる

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とにかく巨大な駅名標

ホームに降り立つ

率直な感想は「駅名標デカッ」だった。ここまでの2枚の写真ではうまく伝わらないかもしれないが既出の他駅と比べると違いが分かるのではないか

こちらは阿蘇白川駅のもの。たまたま同じ車両だったので、車体と比較していただきたい

1992年、日本一長い駅名の駅としてさっそうとデビューした

駅前の周辺案内図で足が止まった

水源などを示した案内図だが、否が応でも右下に目が行く

長い駅名についての解説がある

日本一合戦の先鞭をつける

当駅は読みで22文字、文字表記で14文字。それまでの首位だった鹿島臨海鉄道の「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」駅は読みで22文字、文字表記が13文字だったので、読みで首位タイ、表記で首位となった

以下の経緯はこの説明文にある通りで、2001年に読みが24文字、文字表記18文字の一畑電気鉄道の「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」に首位を奪還されたが、美術館の閉館によって6年後に駅名変更となったため、再び首位の座に返り咲いた。当時「・」は文字数に数えるのか、という論議があったことが懐かしい。そもそも車内アナウンスができない上、きっぷの券面に余分な文字が入って面倒だということで駅名に「・」が入ること自体が珍しい時代だった(JRの鉄道駅で正式名称となっているのは群馬県の万座・鹿沢口の1駅しかない)

つまり1992年から約20年間首位で、一時陥落したものの6年後に再び返り咲いたことになるが、今度は2015年に富山地鉄の富山軌道線に「富山トヨペット本社前(五福末広町)」停留場が登場。こちらは読み24文字、表記17文字で全国首位となった

その後については京福電鉄の「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」(京都市)が首位の座を奪い、さらには「富山トヨペット-」が再び改名

2021年に「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)」停留場という読み32文字、表記25文字という最長不倒距離ともいえる駅名となった…と思いきや2023年に岡山電気軌道で「西大寺町・岡山芸術創造劇場ハレノワ前」停留場が誕生。こちらの読みは32文字で「読み部門」については首位タイとなった

そもそも岡山の駅については明治期の開業以来、ずっと「西大寺町」だった駅名が100年以上の時を経て改名されたももので、わざわざ「日本一合戦」に参加した感がある

JRや大手私鉄では、まず不可能な「長い駅名合戦」。鹿島臨海鉄道の「長者ヶ浜-」の開業が1990年。その2年後に誕生した南阿蘇水の生まれる里白水高原駅は「長い駅名合戦」の先鞭をつけた駅であることは間違いない。写真で分かる通り、案内図の解説文は日本一の座から降りたことで1度は紙かテープで塞がれ、歳月とともに風雨や雪によりはがれてしまったようだが、そこにまた歴史を感じるのである。ぜひ、このままの姿でいてほしい

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~今は貴重となった9つもの駅がある村

※訪問は2025年8月26日

戦国時代の城がモチーフ

あらためて阿蘇下田城駅。前記事でも記したように三セク移管から7年後の1993年(平成5)に温泉施設が入居する駅となり、開業時の木造駅舎から大きく姿を変えた

駅舎内に下田城についての解説がある

下田城は戦国時代に当地を治める下田氏の居城だったが、島津の大軍に攻められ落城。高森線(南阿蘇鉄道)のルートにもなり、跡はほとんど残っていないようだが、駅舎はその城をモチーフにしたもの。駅舎の写真を見れば分かるが、2階部分が展望台にもなっていたようだ。温泉は熊本地震の被害によって営業が続けられなくなったが、地元の愛着もあって、駅名から「城」を外すわけにはいかなかったのだろう

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数々の「からくり」に癒やされる

その阿蘇下田城駅は「ザ・マニアックステーション」の異名をいただいている。「無人歓迎システム」については前記事で触れた駅到着時の大歓迎だが、それ以外のものは

駅舎の外にある「おみくじ小屋」

駅舎の中では

「好きなの買えない自販機」やガチャにおみくじ

グッズ売り場そして

黒電話ボックスと、数々の仕掛けと楽しみがそろっている。さすがにすべてに興じるわけにはいかなかったが、おみくじ小屋には興味をそそられ入ってみた。結論としては遊園地のお化け屋敷も苦手な私には…というものだったが(笑)、ぜひ明るい時間帯に試してもらいたい

ちなみに駅にはこのような文言も添えられていた

南阿蘇村の村役場最寄りに

当駅は南阿蘇村役場の最寄りにもなっている

南阿蘇村は2005年に長陽村、白水村、久木野村の3村が合併して誕生した。村同士が合併して村が誕生した例は5月に日田彦山線BRT乗車のために訪れた東峰村を含め全国に3例しかない(もうひとつは長野県の筑北村)

村同士の合併で村が誕生したのは全国で初の例だった。ちなみに南阿蘇村HPによると2020年(令和2)の時点での人口は1万325人と「町」の要件を十分に満たすものだったが、自然との共生を掲げるため、あえて村を選択したという

現在の村役場は熊本地震から約1年後にできた新庁舎

鉄道的な視点で言うと、合併によって村内には9つもの鉄道駅が誕生することになった。南阿蘇鉄道にはJR豊肥本線の接続駅である立野を除くと9つの駅があるが、その立野駅も所在地は南阿蘇村。、つまり終点の高森駅(高森町)以外は始発駅の立野からすべて南阿蘇村に所在する。国内には183の村がある(北方領土の村はのぞく)が、自治体の合併が進み、地方の廃線が増えた現在、9つもの駅がある村というのは、なかなか思いつかない

阿蘇下田時代の写真が駅舎内に張られていた。昭和の末期には駅前で客待ちをするタクシーが並んでいたのかと思うと感慨深いものがある

列車待ちのため、先ほどの文言通り「無料」で「出入り自由」のホームに再び出てみる

路線内の各駅で見てきた眺め。この景色だけは、その頃から、そして将来も変わらないものだろう

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~開業から約100年で駅名変更2度の駅でビックリおもてなし

※訪問は2025年8月26日

※動画あり音声注意

衝撃のお出迎え

高森駅から折り返す形で阿蘇下田城駅へとやって来た。まず驚かさせるのは、駅に降り立つと衝撃的なお出迎えがある

列車が駅に到着すると乗客を歓迎するかのように音楽が流れて歓迎のロボットが動き始め、これは列車の出発まで続く。この日の私は最初に見晴台まで行ったため、1度当駅での停車を体験しているので、驚きも衝撃も半分になっていたが、それでも車内を埋め尽くしていたインバウンズの皆さんを含む観光客は「何事か」と身を乗り出し(もちろん私もその一員)、車中から写真撮影をしていた

このからくり人形は当駅を象徴するものだ

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全国にいくつもある「下田」駅

開業は1928年(昭和3)。「阿蘇下田」としてスタートした。開業から国鉄時代まで高森線には5つの駅しかなかった(立野駅のぞく)が、うち3駅が「阿蘇白川」「高森」そして「阿蘇下田」と、他地域にもある駅名が並んでいた。阿蘇白川については、先の記事でも紹介した通り東北本線の白河駅との同音が気遣って阿蘇の名を冠し、高森については岩徳線に「周防高森」があるが、こちらは微妙に高森線が早いため、国名や地域名は付いていない

全国各地に地名がある下田については、おそらく最も知名度が高いのはペリー来航の静岡県の下田だろうが、開業は戦後で、しかも国鉄の駅でないことから「伊豆急下田」となった。明治期から「下田」を名乗っていたのは、東北本線の下田駅(青森県)と和歌山線の下田駅(奈良県)で、両駅がともに1891年(明治24)開業だったからか、ともに駅名に国名などを冠することはなく2つの下田駅が存在していたが、かなりの後発ということもあって「阿蘇」の名が付くことになった

ただ下田駅には、ちょっとした顛末(てんまつ)があり、現在JRには「下田駅」はない。というのも東北本線と高森線の駅はともに三セクの駅となり、和歌山線の駅は約20年前に自治体名の「香芝駅」へと名前が変更となったからだ。話はさらにそれてしまうが、香芝駅から歩いてすぐの場所に「近鉄下田駅」があるのだが、こちらは元々は単に「下田駅」で、近鉄と国鉄が至近にそれぞれ同名の駅を持っていて、そのこと自体は珍しいことではないのだが、1970年に現在の駅名に変更(近鉄は至近にある同名の駅に「近鉄」と付けることをよく行う)。駅名の重複はなくなったと思ったら、JRで駅名が変更されてしまった

話を戻すと、阿蘇下田駅は南阿蘇鉄道となってしばらく経つと「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」へと変更された。これは駅舎を大々的に改装して温泉施設にしたからだ。ただ2016年の熊本地震によって温泉の設備が被害を受け、鉄道も運休となったため、2023年の復旧のタイミングで「阿蘇下田城駅」として再出発となった。国鉄時代の阿蘇下田駅にしなかったのは

こちらの駅舎を見れば一目瞭然である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~路線の顔役は唯一の有人駅

※訪問は2025年8月26日

全線復旧直前に新装

高森駅である

現在の駅舎は3代目。国鉄時代は1928年(昭和3)の開業からの木造駅舎が長らく使用されてきたが、1986年の三セク移管直後に時計台のある駅舎に全面改修。施設の老朽化と熊本地震による被災もあったことで建て替えとなり、震災からの全線復旧となった2023年に現在のものとなった。つまりまだピカピカの2年目

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本社の所在地

開放感のある駅舎内はエアコンも完備。休憩スペースには充電コーナーもある。南阿蘇鉄道が入居する路線内唯一の有人駅。乗車券の販売も行うが、改札業務は列車の乗務員が行うため、外からダイレクトにホームに入ることも可能で開放感が漂っている

なお言い忘れたが、私は翌日にも高森駅を訪れている。その事情は後の記事で紹介するが、駅の内外の写真については2日分が混じっていることを了承願いたい

駅の外には

ワンピースのフランキー像。大変な人気者で撮影の人が絶えなかった。もうひとつの人気は

ワンピースのキャラクターによるサニー号トレイン。こちらもカメラの放列。ワンピースの作者尾田栄一郎さんが熊本出身という縁で全線復旧となった2023年から運行を開始。主に週末に運行されていて私が訪れたのは平日だったので留置線で休憩中だった。1日1往復と2往復の日があり、2往復の場合は1往復が全席指定となり、指定席料金510円が必要。それ意外の便は全席自由席で乗車券のみの追加料金不要となっている。運行日など詳細は南阿蘇鉄道HPを参照していただきたい

また車窓からキャラクターを探すという企画も行われていて、南阿蘇白川水源駅での記事で紹介したキャラクターはそのためのもの

この車両は定期運行での運用に入ることもあるそうで密かに楽しみにしていたが、残念ながら私の2日間で出会うことはなかった

広大な敷地

サニー号トレインの写真で分かるように国鉄以来の路線の顔として広い敷地を有する

靴を脱いで入る交流施設は展示コーナーのようになっていて

九州内の三セクからの全線復旧を祝う声が届き

アニメの人気キャラも再開を祝っていた。2016年4月の熊本地震から2023年7月の全線復旧まで7年もの歳月を要した。地方の鉄道がこれだけの空白期間を経て復活するのは現在では、なかなか貴重なことである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~不自然な弧を描いて入線する終着駅

※訪問は2025年8月26日

終着駅のいつもの感慨

終着駅の高森に到着。全国どこでもそうだが、国鉄由来の終着駅には旅愁が漂う。旅情というより、ここから先に線路はないという旅愁だ。国鉄が全国に線路網を伸ばしていく際、機回しの面倒もあって、港へ向かう路線以外はできるだけ終着駅は設置しない方針で敷設されていった。弊ブログでも各地の路線を紹介する度に触れてきたが、現在残るいわゆる「盲腸線」のJRや三セク路線の多くは、結果的に延伸をあきらめた未成線であることが多い

行き止まりなので利用客は制限される。地方の路線では苦戦が続く。結果的に多くの路線が廃線になったり三セク転換されている。「本当はこの先にも線路が伸びていて…」そう感じるからの旅愁かもしれない

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路線名にもなった駅

南阿蘇鉄道が運営する路線は1本のみのため、記事でもずっとその名を使用しているが、正式な路線名は「南阿蘇鉄道高森線」である。国鉄の高森線を引き継いだためのもの

高森線の線路は1928年(昭和3)に立野から高森までやって来た

こちらは立野駅のホームにあるイラストだが、阿蘇山を囲むように敷設されていることが分かる。豊肥本線と高森線が計画され、豊肥本線は大分へ高森線は高千穂を経て宮崎県の延岡へとつながる予定だった。ただ豊肥本線は高森まで線路が到達した1928年に全線開業したのに対し、高森線と接続予定の高千穂線は1935年の一部開業から戦争をはさんでジワジワと延伸が続けられ、1972年に高千穂まで到達。以降も高森まで延伸すべく工事は続けられたものの、県境を越える長大トンネルを造ることができず、それぞれ高森、高千穂が終点の盲腸線となってしまった

その原因はトンネルを掘る際の出水事故である

現在は高森湧水トンネル公園というとても分かりやすい名前の公園となっているが、元々はこのあたりに高森駅を設置し、高千穂に向けて延伸されるはずだったが、高千穂到達の後に始められた7キロ近い長大トンネルの工事中に相次ぐ出水事故があり、1980年に工事は中断。1985年正式に工事の凍結が決まった。1985年といえば、国鉄からJR移管(1987年)の目前。というか1984年にはすでに三セク移管が決定していた

1970年代というのは鉄道にとっては不思議な時代で、赤字ローカル線が各地で姿を消す一方、果たして採算がとれるのかという路線の工事が着々と続けられた時代でもあったが、工事凍結が1985年と知った私も今、この記事を書きながら少し驚いている。もっと早く断念したのかと思っていた

この公園は今、高森町の名所として多くの人が訪れる場所となっているが、工事凍結は思わぬ結果をもたらした

南阿蘇鉄道は、この公園のあたりで大きく弧を描いて高森駅へと向かっているが、これは最初の開業時に「いずれ延岡へ延伸されるが、それまで暫定的に街の中心部に駅を置いておこう」という理由で現在地に駅が設置されたもの。延伸されると高森駅は湧水トンネル公園近くであらためて開業される予定だった。普通は街外れを覚悟で駅を設置する。そもそも各地の国鉄駅は街外れにあることが多い。約100年近く前に将来のムダを覚悟で線路を不自然な形でよくぞ敷設したものだと感心してしまうが、別な視点だと1928年のトンネル技術では、全線開業は相当先になると考えたのかもしれない。このような経緯で街の中心部にやってきた線路は、恒久的に現在地で営業することになったのである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~路線内で最も新しい駅はガラス張りのおしゃれな駅舎

※訪問は2025年8月26日

アクセス向上のための請願駅

白川水源を後にして南阿蘇白川水源駅へと向かう。前記事でも記したが、白川水源へのアクセス向上のためにできた駅

なにゆえグーグル地図が広い道路ではなく狭い道路から遠回りするコースを選択するのか不明だが、普通に進めば、写真のように広い道路から駅舎がすぐ分かる。すぐ分かるぐらいなので周囲はほぼ農地。阿蘇白川駅から徒歩15分かかっていた白川水源への道程を5分にしてくれる駅は南阿蘇村による請願駅だ

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待ちに待ったお昼はあか牛

当駅の開業は2012年(平成24)3月。南阿蘇鉄道では最も新しい駅。観光名所の白川水源へのアクセス向上を目的に南阿蘇村が3500万円という費用を負担した請願駅。南阿蘇鉄道の半数以上の株主が南阿蘇村とはいえ、3500万円は太っ腹な出費である

築10年ちょっとだけあって、なかなかおしゃれな駅舎だ。大きな駅名板は最初の写真の場所からでも駅を確認できるからだろう

ガラス張りの駅舎内にはレストランが入店しているが、張られていた8月の開業日を見ると週末とお盆という観光客の多い日だけのようで、この日はお休み。もっともこちらについては覚悟ができていた。緩やかな坂を昇って再び白川水源の方へと足を向ける。周辺は観光地なので食事はできる。まず目についたのはラーメンだったが、いくら熊本がラーメンとはいっても、この炎天下ではさすがに堪える。そこでせっかくなのだからと奮発してステーキ丼

阿蘇といえばあか牛。それなりのお値段はしたが、ギッシリ敷きつめられたステーキが絶品。わさびにタレ、塩と3種類の楽しみ方があって、後は自分の好みのタイミングで半熟玉子を入れる。そしてステーキに別の意味で味付けとなったのが、実に美味い水。提供されるのは白川水源の水で、先ほど味わったばかりの水を、まさに駆けつけ1杯いや2杯も含め、コップで5杯も飲んでしまった。実に満足

思わぬ出会いに驚き

再び駅へと戻ってきた。すると駅舎内に思わぬ変化。ガラス張りの当駅はとてもおしゃれで美しいのだが、ガラス張りだけに陽当たりが良すぎて最初に入った瞬間「この季節は屋内に長居は無理」と思うほどの暑さだったが、入ると空気が全く違う。休業日の仕込みか整備かは分からないが、レストランの方がいつの間にか来て作業を始めている。そのタイミングでエアコンが稼働したようだ

駅舎内には国鉄時代の写真などが掲げられていて、昭和47年~昭和48年とあるが、駅名標の前で元気にポーズをとる子どもたちは、おそらく私とほぼ同年代で、今は何をされているのだろう、と思ってしまった

そんな感慨にふけっていると列車の接近注意音が鳴り、この時間にやって来る列車はないはずだと思っていると

やって来たのはトロッコ列車。今日は運行日でないことは確認していたが、試運転だろうか、と眺めているとお客さんが乗車している。団体さんにしては人数が少ない気もしたが、少しの時間停車して乗務員の方による説明が行われていたので、貸切での運行だったのか。ただホームでぼんやりと説明を聞いていて気付かされたのは

田んぼにたたずむワンピースのキャラクター。沿線では随所に登場するが、それについては以降の記事で説明していきたい

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~車内ガイドで水温14℃白川水源の場所を知る

※訪問は2025年8月26日

白川水源の元の最寄りは阿蘇白川

阿蘇白川駅から村道に出たところ。ここはおそらく旧国道(国道は現在立派なバイパスとなっている)だが、「白川水源 800メートル」との案内がある。ここから白川水源を目指す

地図を見れば一目瞭然だが、白川水源の最寄り駅は南阿蘇白川水源駅。ただこちらは2012年開業と新しい駅で、長らく阿蘇白川駅が白川水源への最寄りだった。これから徒歩で白川水源へと向かい、阿蘇白川駅訪問も果たすつもりだ。白川水源は観光地なので食事をする場所もあるだろう。2時間もあるので十分だ

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当初の予定にはなかったが

白川水源への訪問は当初予定になかった。というか、どこにあるのかも知らない。白川水源を名乗る駅があるので、そこから近いのだろう、という感覚だ。予定になかったのは当然で、飛行機が早着しなければ訪問の時間はなかった。そして南阿蘇鉄道の車内での乗務員さんの案内が大きい。「あそこに見える青い屋根のあたりが白川水源です」。南阿蘇鉄道では沿線や駅についてのガイドが入る。つまり車内で白川水源の場所を知った次第。もちろん白川水源へは南阿蘇白川水源駅の方が近いが、ダイヤの関係や当初は阿蘇白川駅のカフェに行くつもりだったので、阿蘇白川駅まで行って下車した。どちらにせよ、この1区間は歩く予定だった。要は食事場所が白川水源付近に変更されたということ

さて、駅訪問の記事ではサムネに駅名標の写真を置くことが多く、そこで気付かれた方もいるかもしれないが、南阿蘇鉄道の駅名標には必ず標高が入っている。高原を行く鉄道らしい

ご覧のように約500メートル。さすがにこの季節、高地といえどもかなり暑いが、心地よい風が吹いていて日陰は涼しい

15分ほど歩いて白川水源の入口に到着した

冷たい水が何よりの癒やし

入口は白川吉見神社の参道も兼ねている

環境を守るために100円の入場料(協力金)が必要だということ。もちろん喜んで払います

そして白川水源へ。写真は人の姿が一瞬消えてタイミングを見計らって撮ったが、実際は人がいっぱい。入口近くの駐車場には団体のバスも停まっていた。平日でこれだから週末はもっとにぎわうのだろう

ご覧の通り、ひしゃくですくっていただくスタイル。中に入るのはもちろん、手足をつけるのも禁止。耐水性のカメラを浸けるのも禁止である

ということで早速すくってみた。ここでは毎分60トンもの阿蘇の水が湧き出していて水温は年中14度だという。手で触れるとひんやり。徒歩で汗をたっぷりかいたため、ひしゃくで頭から水をかぶってみたかったが、周囲を見渡すとやっている人がいなかったので自粛。その代わり、両手にかけてみた。こんこんと冷たい水があふれる景色と冷涼な空気だけでも十分に癒やされるが、この冷たさにはさらに癒やされる。初めて来たので四季ごとの感覚は分からないが、14度の水はおそらく冬場はとても温かく感じるのだろう

当地では古くから水に対する信仰があったとされ、神社へお参り

私はペットボトルの水を持参していたので、そちらを飲み干してから、こちらの水のお世話になったが、容器は現地でも販売している。台車の持ち込みは禁止されているが、毎分60トンなのでくみ放題でもある

この後、駅に降りる度に周辺案内図を見ると各所に水源がある。その数は16にもなるとか。アクセスや現地の環境はさまざまだのようだが、とにかく来て良かった。そう思える寄り道は、列車内の案内があってのもの。きっかけをくれた南阿蘇鉄道に感謝である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~山中の時計台駅のカフェでひと休み…

※訪問は2025年8月26日

幸運に感謝しながら

見晴台駅から立野方面へと折り返して阿蘇白川駅で下車。時刻は10時38分。当初の予定だと立野どころか、11時48分の列車に乗るべく、まだ肥後大津で待機中。「まだ」というより「まだまだ」だ。早めに着くのだから荷物をホテルで預かってもらって…などと考えていたが、飛行機の5分早着は本当に幸運、強運だった。全9駅(立野をのぞく)の南阿蘇鉄道において、もう2駅目なのだから、これは大きい

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他の国鉄駅との重複を避ける

時計台を持つおしゃれな駅舎を有する阿蘇白川だが、こちらは三セク移管後のもの。開業は1928年(昭和3)と、5つだけの国鉄高森線時代からのオリジナル駅のひとつ

当時は白水(しくすい)村に所在。白川とは明治の町村制施行まであった白川村のことで、この後出てくる白川水源など、当時からの地名は今も残る。駅名に旧地域名が入れられているのは、東北本線の白河駅と文字は異なるが読みは同じなので、気配りしたと思われる

2005年の平成の大合併で南阿蘇村が誕生して白水村は自治体としては廃止されたが、当駅は村の代表駅で役場も当駅近くに置かれていた

駅舎も開業時からの木造駅舎が残っていたが、南阿蘇鉄道に移管されて現在の姿に。木造駅舎を廃して新たにおしゃれなとんがり屋根の時計台付き木造駅舎を建てるあたり、新出発に向けた気概を感じる

駅舎にもミニ駅名標が張られている

単式ホームからの雲が美しい

時間を使うには

さて朝の時間帯を過ぎると南阿蘇鉄道はローカル線あるあるで、運行本数がガクンと減少する時間帯に入る。先述した通り、私が降り立ったのは10時38分だが、次の高森行きは12時34分(これが元々乗乗車予定の列車)、立野行きは13時00分と2時間もの空白がある。奇跡的な乗継ぎでここまで来たが、元々はたっぷり時間のある肥後大津駅で11時になったら飲食店も開くので、そこで昼食を済ます予定だったが、それはできなかった。肥後大津駅付近にはコンビニもあるが、もちろん買い物の時間はなかった。朝7時台の飛行機に乗るべく、摂った朝食は5時過ぎの牛丼店朝食なので、さすがに何かお腹に入れたいところだが、これについてはさすがに列車内で調べた。当駅にはカフェが入居しているのだ。駅舎を利用した飲食店は他駅にもあるようだが、営業時間が不明。ただこちらは平日もオープンしているようなので「朝からやっているのかな」などと思いながら、あらためて駅舎に入ると

あるある。これでひと安心と思いきや

なんと本日は火曜日だったのだ。下調べができていない私が悪いのだが、ピンポイントで1週間あるうちの7分の1を引いてしまうとは

ただ私には今回ばかりは「プランB」がある。2時間もの時間を有効活用する方法

駅前通りを進んで振り返ると、大いに目立つ美しい駅舎が見えた。炎天下ではあるが、ここからは徒歩である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~予備知識なしで降りて「オンリー」自販機にビックリ

※訪問は2025年8月26日

時刻表の都合で最初の訪問駅に

豊肥本線からの直通列車なので始発駅である立野での乗降はしなかったが、南阿蘇鉄道となる立野から30分で終点の高森手前となる見晴台で下車。JRから線路を引き継いだ三セクにも、いろいろな規模があって、南阿蘇鉄道高森線は、わずか17・7キロしかない。だから全線乗車しても30分程度。総距離が短いからこそ熊本地震からの復興がかなったのだともいえる

そしてタイトルにもある通り、当駅については何の予備知識もなく降り立ったことをまず断っておく。単に時刻表の都合で最初に降り立った駅となった。ここからの文章では後に私が調べたことも含めながら駅の紹介をしていきたい

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三セク移管後の新駅

見晴台駅は1986年(昭和61)の開業。同年4月に三セク移管された後の11月に設置された。同日開業した加勢駅と並んで南阿蘇鉄道の一期生の駅である

三セクの新駅というのは隣駅との距離が短いことが多いが

終点の高森駅までは大した距離ではない。後に出てくるが、もともとは湧水トンネル公園付近に高森駅が設置される予定で、暫定的に現在の場所に設置したおかげで駅前で大きくカーブしている。結果的に暫定的な駅は恒久的な駅になってしまい、そのおかげで見晴台駅から高森駅へは線路をショートカットするように歩けばいいし、そもそも当初の予定通りに高森駅ができれば、あまりにも距離が近すぎて新駅は造られなかっただろう

しかし地図を見ていただければ分かるが、駅の場所は住宅地や市街地ではなく農地だ。実際に駅で降りても周囲に民家は少ない。なぜそんなところに、と思われるかもしれないが、駅名の通り景観を誇る駅だったのだ

こちらは駅前からの景観。実に美しいのだが、この美麗さをウリにしていた駅だったのだ

開業当初、当駅は屋上が展望台になっていた。駅名は特に地名ではない。後に老朽化を理由に現在の建物となったが、屋上というのは維持に手間がかかるものなので、利用者数や訪問者数が合わなかったのかもしれない。熊本地震前のデータでは1日の利用者数は、限りなくゼロに近い1だったという

暑さゆえに

こちらはホーム側から見た駅舎。駅舎に入らずとも出入りできるようになっている

私が当駅に滞在できる時間は20分。外の写真は撮ったので、駅舎内を見る前に暑いので何か買おうと駅舎横に設置されている自販機に近づいてみて驚いた

なんと「午後の紅茶」一択。自販機の定番であるミネラルウォーターもお茶もない

首をひねりながら駅舎内に入ると理由が分かった。ポスターや説明文があった

この駅は午後の紅茶のCM撮影地だったのだ。熊本地震からの復興支援として当駅周辺で上白石萌歌さん主演のCMが撮られ、自販機はセットの一部として設置されたものが、そのまま利用されているものだという

上白石萌歌さんといえば、同じ九州の島原鉄道

大三東駅でのキリンレモンのCMについては、それを知った上で訪問したが、午後の紅茶については認識がなかった。CMでの歌は印象に残っているが、当駅だとは知らなかった

こちらは駅舎内。CMは2016~2018年のものだが、その時に存在を知った人の訪問は今もあるという。当駅で下車したのも乗車したのも私1人だったが、乗務員の方にはもしかすると、そのように見られていたのかもしれない。単に私が無知だっただけとはいえ、降りてみて初めて得た知識は、いつまでも記憶に残るものである

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