私鉄

弘南鉄道弘南線を行く~農地内でポツンとたたずむ赤いラウンジ

※訪問は2025年7月11日

平賀駅から1駅の新駅

大きなビルの平賀駅から黒石行きに乗車して1駅目

柏農高校前で下車した。この部分の写真だけで想像ができるが、平賀駅とは大きく異なり、単式ホームのみで駅舎はなく、待合所があるだけの駅だが、そこに大きな特徴がある

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学校の移転により設置

柏農高校前駅は1980年(昭和55)の開業した弘南線の新駅。1950年の黒石までの全通以降、今日までに4駅が新たに開業しているが、そのうちのひとつ。駅名から分かるように県立柏木農業高校の最寄り駅

同校は平賀町(現平川市)の中心部にあったが、1980年6月に現在の位置に移転した。新駅はそれに伴うもので、開業が6月23日と、新駅らしくない日時となっているのは、そのため

田んぼの中にたたずむ駅となっているのも学校最寄りに後から設置したためだ。改札にあたる場所に駅員の詰所となっているようなきっぷ売り場があるが、現在は登下校時も稼働していないようで、いつまで使用されていたものかは分からなかった。ただし、このきっぷ売り場の塗装が当駅のセールスポイントである

目を引く赤い色

ホームにある待合所の前まで行くと思わず立ち止まってしまう

赤く塗られている。歳月とともにかなり色は落ちているが、赤く染められている。そしてそこに掲げられているのは

英語「LOUNGE」の文字。ラウンジというと、空港やホテルにある高級なものを想像しがちだが「待合室」「休憩室」の意味。だから全国の駅のホームにある待合所もラウンジなのだ。柏木農業高校の生徒さんや地元の方々によって塗装が施されたという

派手目な外観とは異なり、待合所に入ると落ち着いた緑色。天井には雲が描かれている。訪問日と同様の夏の空だ

さて駅の所在地は平川市荒田で、地図で分かるように、小さいながらも集落がある。当駅は地方私鉄の新駅の割には旧平賀町の中心部である平賀駅から線路で2キロもの距離がある。旧尾上町の中心部だった津軽尾上駅へも1・6キロ。つまり柏農高校前駅の開業までは駅間距離が3・6キロと、かなり離れていたのだが、実は現在の柏農高校前駅近くにも、かつて駅があった。地名通り「荒田駅」。弘南線は開業時は非電化路線で、戦後の全通時に電化された歴史は以前も記したが、開業後から蒸気機関車(SL)の台数や石炭不足の影響に悩まされ、ガソリンカーを導入することになった。簡易的な構造のガソリンカーは、どちらかというと現在、地方路線で走る単行気動車に近いものだが、当時はSLが主流。ガソリンカーのみが停車できる簡易構造の駅を3カ所に設けたが、そのひとつが荒田駅だった。ただ戦争に突入すると資源節約で、これらの駅は廃駅となってしまった

当時と同様の簡易構造である柏農高校前は約40年ぶりに荒田にできた駅となったが、1度廃駅となっているため、もちろん代替駅扱いはされていない。ホームに立つと、80年以上前の風景をついつい思い描いて空想の世界に入り込んでしまうのだ

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弘南鉄道弘南線を行く~路線をつかさどる駅は目を見張る巨大駅だった

※訪問は2025年7月11日

駅員さんの集札を受ける

境松駅から弘前行きに乗車して15分ほど

平賀駅に到着。立派な上屋は大きな駅であることを予感させるが、本当の驚きはその後のこと。駅員さんが集札にあたる。弘南線では数少ない終日駅員配置駅となっている

車庫も備えた規模の大きい駅だ。弘南線の運行をつかさどる指令所があり、弘南鉄道の本社も当駅に所在する

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巨大駅舎に驚く

まずは改札を抜けて駅舎の写真を撮ろう。すると、そこにあったのは

巨大なビル。これには驚かされた。車窓から車庫を眺めながら、それなりに規模の大きい駅だということは予想していたが、こんなに立派なものとは…

見て分かるように正確には津軽みらい農業協同組合との合築で、弘南鉄道の本社も入居する形になった4階建てのビル。昭和の終わりごろから現在の姿になっている。昭和という時代を考えると地方私鉄のターミナルではない駅で、これだけ立派なビルの駅舎というのは出色の存在だったと思う

平賀駅は1927年(昭和2)の開業。弘前(当時は弘南弘前)から津軽尾上まで敷設された際に設置された。「ひらか」と読む。平成の大合併で尾上町、平賀町、碇ヶ関村が合併して平川市となったが、それまでは平賀町。さらにさかのぼると現在、駅のある場所は開業時は大光寺村だった。南北朝時代に合戦が行われた場所としての歴史は持つが、それまでは農村だった当地が発展したのは弘南鉄道が寄与するところが大きい。それまでは鉄道空白地帯で、弘前市街地までは近いようで遠かった尾上地区とここ平賀地区に鉄路が来たことで町は発展した。戦後に黒石まで延伸されたが、平賀、尾上への鉄路は地元の悲願でもあったので、まず尾上への敷設が優先された

駅を中心に平賀町が形成され、現在は平川市の市役所がある

地図を見ると駅を中心に市街地が広がっていることがよく分かる

駅の構造は実質棒状ホーム

駅となっている部分はビルの左側。ガラス張りの入口ドアから入る

先述したように終日駅員配置駅で自動券売機も設置されている

駅員配置駅の弘南線の特徴だが、電車がやって来る直前に改札が開く。「改札中」と電光で表示される

駅の構造は2面2線だが、よく見ると向かいホームの線路が錆びている。これは2007年に構内で脱線事故が発生したためで、事故以来、ホームは使用禁止となり、臨時列車用となった。実質的に棒状ホーム構造となっている。ホームの駅名標は使用されていない側にのみあるようで遠影となった

いつものことながら、時刻表と地図を調べるのみで駅舎についての知識は事前に入れずの訪問となったが、自分の予想をはるかに上回る大きな駅で、ちょっとした感慨があった

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弘南鉄道弘南線を行く~700年もの歴史を持つ黒石の旧旧市街地

※訪問は2025年7月11日

黒石行き列車を見送る

境松駅に到着すると間もなく電車がやって来て、そして去っていった

ただ慌てることはない。この列車は黒石行き。隣駅で終点でもある黒石で15分ほど停車して折り返すので、それをつかまえて弘前方面に向かうつもりだ

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以前は立派な駅舎が

境松駅の駅舎というより、単なる待合所だ。単式ホームの以前は2階建ての駅舎があったという記録が残るが、約20年前に現在の姿となった。ただし駅としての歴史はあって、1927年(昭和2)に弘前から津軽尾上までが開業した弘南鉄道が戦後になって黒石まで延伸され全通した1950年に開業している

弘南線は全長16・8キロで、延伸部分は5・7キロ。頑張れば歩いても行けそうな距離だが、以前も記したように、この5・7キロの意味合いは大きく、弘前と黒石が直接つながったことで、川部と黒石を結んでいた国鉄黒石線から客を奪うこととなった

そしてもうひとつは、ここ境松に駅ができたことだ

境松駅のほど近くに「旧黒石城跡」がある。といっても今は石碑が残るのみだが、鎌倉時代の終わりごろに造られた黒石城が、300年にわたって当地支配の中心地だった。ところが江戸時代に入って居城が現在の御幸公園の場所に引っ越し。弘前藩の分家だった黒石津軽家は、最初はわずか5000石だったので城ではなく陣屋を築いた。以来、黒石の街はこの陣屋が中心となっていく。つまり黒石駅の周辺だが、江戸時代までの中心地で市街地が残る境松にも駅は設置された。地図を見れば分かるが、弘南線はここ境松を出るとやがて90度の弧を描いて黒石駅に入る。弧を描いた後に国鉄黒石線と並行して黒石駅へと向かう形になっているが、境松近くに国鉄の駅はなかった。境松と黒石は線路にしてわずか1・5キロだが、境松の人々にとっては貴重な駅の誕生だった

単式ホームからの眺め

待合所を通り抜けると緩いスロープからホームに行ける(もちろん無人駅なので待合室の脇からもホームに入れる)。ホーム入口は黒石側にあるが、街の成立を考えると当然のこと

ホームは用水路をまたぐように設けられていて「川の上にある駅」である

ホーム中ほどから黒石方面を望むと川の上の駅であることが分かるが、あくまで用水路のようで、その表記はあてはまらないようだ

国鉄から弘南鉄道に譲渡された黒石線は1984年に譲渡され、わずか14年後の1998年に廃線となったが、代替バスは今も走る。廃線跡の道路を真っ直ぐ進むのではなく、黒石駅から南側の集落のある場所を通りながら川部へと向かい、平日は1日5往復、週末は1日4往復運行されているが、もちろん境松にも停留所はある

ただ黒石駅に近すぎるからだろうか、2023年度の黒石駅の利用者624人に対し、境松駅は18人。黒石駅の利用者数は1037人の弘前駅に次ぐ路線第2位の数字だが、境松駅は13駅中12位。下にいるのは冬季と早朝、夜は通過駅となる田んぼアート駅の8人で、事実上最下位の数字となっている

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弘南鉄道弘南線を行く~50分待つのなら腹ごなしに黒石から1区間を歩いてみる

※訪問は2025年7月11日

乗車中に距離を調べた

黒石やきそばをいただいて黒石駅に戻る。といっても黒石駅の敷地そのものは大きく、食事をしたすごう食堂さんの真ん前はもう敷地内となる

食事中に弘前行きはすでに出発してしまっていたため、1時間に1本の路線で待ち時間が50分ほどできてしまった。こういう展開になるだうと当駅に来る直前の車中から、目を凝らして徒歩コースをチェックしていた。これなら30分もあれば歩けるのではないかというのが結論。では歩いてみよう。昼からビールとしなかったのは、これが理由。腹ごなしも兼ねてのものだ

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どちらのコースも同タイムだが

徒歩コースを調べると線路をはさんで北コースと南コースがある。こうやってグーグル地図を見ると、時間の少ない南コースとなるが、ナビタイム先生が示したものはともに23分コース。なぜかというと北コースを左に折れる地点が、もっと手前で地図で細い線となっている道路を行くように指南されているからだ。先にグーグル先生を見ていたら、この細い線はちょっと危ないと感じたかもしれないが、先にパッと開けたのはナビタイム先生の方だった

しかも私はその時、バス案内所跡を見るべく、駅の北側にいたので必然的に北コースとなった

この真新しい道路は

さっそく歩き始める。南コースは古くからの黒石の街を歩いていくようだが、こちらは新興住宅地のように新しい家が並ぶ。そして店舗も見当たらない

やがて現れたファミマで買い物をしつつ、ちょっと休憩。と、ここでようやく気付いたことがある。地図を見ていただければ、弘南線はこれから目指す境松駅から90度の弧を描くようにして黒石駅に向かうのだが、なぜそのようなコースになったかというと、折れた地点から国鉄の黒石線と並行して黒石駅へと向かっていたからだ

ということは、私が歩いているコースは廃線跡ということになる。この時の記事にも記したが、大正期に川部から黒石までのわずか6キロを結んで誕生した国鉄の黒石線は弘南鉄道の黒石乗り入れによって利用者が減り、弘南鉄道黒石線として再スタートしたものの、1998年(平成10)に廃線となった。廃線からまだ30年経っていない。廃線跡だとすると、この両側は線路を挟むようになっていた場所で、新しめの道路も住宅街も説明がつくのである

さらに進むと水田が現れ、岩木山を望む美しい景色に出会う

そして前述した「細い線で描かれた道」へと導かれる。こうやって記事を書いている今は、グーグル地図も見ているので、細い線の理由は何となく理解できるが、その時は砂利道への誘導にちょっとビビった。前回弘前にやってきた3月だったら、雪で埋もれているか、足下の悪い状態で、つまりは徒歩は困難なんだろうな、と思いながら進んだ

どちらがいいとか悪いのではなく、徒歩利用の場合、グーグル先生は比較的広くて分かりやすい、車でも行けるコースを指南してくれるのに対し、ナビタイム先生は超短絡コースを教えてくれる時があるので、うまくはまった場合は破壊力十分が、悪天候などの場合、思わず絶句してしまうコースに誘導される。過去にも雪で埋もれていたり、巨大で深い水たまりで前進できなかったことがあった。徒歩でも無理なコースというのは、それなりに人が生活している場所ではなかなか出会わないものだが、そこに見導いてくれるのだから、ある意味、貴重なガイドである

やがて境松駅が見えてきた

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弘南鉄道弘南線を行く~黒石に来たら、これを食べないわけにはいきません

※訪問は2025年7月11日

駅舎内にも張り紙

黒石駅への到着は11時26分だった。一応、私なりに時間を考えて来たつもりだ

駅舎内をウロウロしていると

観光案内所の表示とともに、このような張り紙を発見。そう、このために到着時間を考慮したのだ。弘南線の昼間は1時間に1本の運行。1時間遅いと12時26分となって、ちょうどお昼時と重なり、お店の混雑が予想される。ではさらに1時間後となると、ちょっと遅い。ここ黒石の状況は分からないが、飲食店にはランチタイムの後に休憩時間となって次はディナータイムという営業形態が多い。ランチタイムは基本的に13時半や14時までである。だったら間に合わない。まだ比較的すいている時間帯となると、11時26分の一択だったのだ

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黒石やきそばとは

全国各地のB級グルメで黒石やきそばは、高い知名度を誇る。そして関西からの到達難易度を考えると、せっかく来たこの機会を逃すわけにはいかないのだ。これが弘前のものだったら「また来ることもあるだろう」で済むが、弘前から電車で45分。しかも列車はここで行き止まりで、来たコースを戻るしかないという地域性を考えると、ふだんは旅先のお昼なんぞはコンビニおにぎりや、コンビニ菓子パンで済ます私も、何としても現地で食べる(ここがポイント)黒石やきそばである

黒石まで来た電車は15分ほどで、弘前方面へと折り返す。駅巡りの「平常運転」ならば、15分で駅及び周辺のチェックをして引き返すが、さすがにその1時間後までパスである

では混み合う前にさっそく、となったが黒石には数多くのやきそばを扱う店舗がある。横手やきそば(秋田県)や鍋焼きラーメン(須崎市)でも見た光景

あまり駅から離れるとこの後の行動に影響するので、できるだけ近いところと

駅からすぐの、すごう食堂さんに入る

駅舎内の張り紙にもあったように、黒石市は「やきそばの街」をPRしている。黒石には、いわゆるやきそばとつゆやきそばがあり、黒石市のHPによると「戦後まもなく作られ、昭和30年頃には子供のおやつとして10円単位で売られていた黒石やきそば。太い平麺が特徴で、甘辛いソースがたっぷりのくせになる美味しさ」とあり、こちらが普段われわれが連想するやきそば

つゆやきそばについては「昭和30年代後半、中学校近くのお店で生まれた『つゆそば』が、近年市内のあちらこちらで作られるようになりました。『黒石やきそば』に『つゆ』をかけた『黒石つゆやきそば』は、全国でも珍しい庶民の味」と記されている。ここはつゆやきそばをいただこう。先客は私のほかに50代ぐらいの男性。結構高そうなカメラをテーブルの上に置いている。どう見ても同業者(鉄道ファン)である。後に電車で同乗したことも付け加えておく(笑)

間もなく待望のつゆやきそばが到着

普通のやきそばに出汁がかけられている。黒石やきそばの特徴はうどんにも見えてしまう「太平麺」で、モチモチ感が何とも言えない。出汁と絡んだやきそばが良いハーモニーを生み出している

B級グルメという言葉

「B級グルメ」という言葉は、かなり以前からあったと記憶するが、新聞社に長くいた私の感覚では普通にメディアに登場するようになっのたは最近のこと。そもそも「B級」と言われた方はうれしいのか、という前提がある。このあたりは「秘境駅」と同じで、そこで暮らしている人は、うれしいのか、というのと似ていて、私は基本的には秘境駅という言葉は使用しない

変化が起きたのは2000年代に「B-1グランプリ」が始まってからで、出品する方々は自ら名乗っているのだから公認だろうということになって「B級グルメ」という言葉が普通に使われるようになった。JR東海が飯田線のいくつかの駅を秘境駅と認定したのも同様だ(それでも私は秘境駅と記する時は「JR東海によると」という言葉を入れるようにしている)

とにかく満足。正直言って、まだまだ食べられる。次はつゆのないやきそばを別のお店をはしごして食べたいぐらいだったが、まずはここまでにしておこう。つゆやきそばも出汁はうどん、そばのものからラーメンのものまで、さまざまな味があるらしく、次は黒石に宿をとって食べ歩き、食べ比べをしたいと本気で思うようになった

さて焼きそばというのは実にビールに合う食品だが、ここはグッとがまんした。次の行動があるからだ

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弘南鉄道弘南線を行く~弘前から17キロ、12駅目の終着駅に到達

※訪問は2025年7月11日

津軽尾上から12分

津軽尾上から戦後に延伸された区間を行く。といってもすでに田舎館までは行ったので同じ区間を再び走ることになるが、田舎館から2駅目

終点の黒石に到着した。弘南線は弘前も含め全13駅。総距離は16・8キロ。大鰐線が13・9キロとそれほど変わらず、合わせても30キロほど。県庁所在地でもなく、国鉄転換からの三セクでもないす地方の私鉄が、ここまで頑張って来られたのは、総距離の短さもある

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典型的な頭端駅の姿

私は頭端駅が好きだ。線路と並んで車止めがある光景にひかれる。そしてこの景色は、ある意味私鉄ならではのものだともいえる。JRにももちろんあるが、全国に線路網を張り巡らせようとした国鉄の歴史から路線の長さからすると、その数は少ない

黒石駅は、頭端駅の最たる姿で奥に改札そして駅舎がある。降りる人がいないように感じるのは構内の写真撮影などをしていて改札を出るのが最後になったからだ

オレンジ色の「出口」が目を引く。改札の駅員さんは私が来るのをずっと待ってくれていた。遅くなってすいません

改札口の手前には重量計が置かれている。さすがにこれは現役ではないだろう

国鉄から客を奪う

駅舎内には観光案内所も設置され、自動券売機もある

弘南線が黒石まで延伸されたのは1950年(昭和25)。当時の駅名は「弘南黒石」。なぜ「弘南」が付いたかというと、駅前には1912年(大正1)に、先に黒石に乗り入れていた国鉄の黒石線の駅があったため。これで弘南線は全通となったが、大きく影響を受けたのが国鉄だ。黒石線は川部から分岐するいわば支線で、弘前から黒石への唯一のアクセスルートだった。五能線の分岐でもある川部は鉄道の要衝だったのだ。黒石線は弘前からの直通運転も行っていたが、スタートから電化され(弘南鉄道は戦前に非電化で開業したが黒石延伸の直前に電化された)、すべての列車が弘前とダイレクトに結ばれている弘南鉄道とは利便性に差があった。当時の運賃は国鉄の方が安かったようだが、利用者が選んだのは本数も多い弘南鉄道だった

わずか6キロしかなかった黒石線は結果的にギブアップ。国鉄末期に弘南鉄道へと譲渡され、弘南鉄道黒石線として再出発となった。国鉄路線が三セク移管されるのではなく民間の鉄道会社に引き継がれるという珍しい例となった。1984年のことである

到着時の写真にもチラリと写っているが、黒石駅にはもうひとつのホームが残る。弘南鉄道では黒石線を譲り受けたことで、構内の改良工事を行うとともに、それまでの国鉄の線路からの連絡線を設けて同改札内での乗り換えができるようにした。駅名も黒石に改められた

ただ電化されている弘南線に対し黒石線は非電化のまま。そもそも弘前方面から黒石に行こうとするとスイッチバック構造になってしまうので、弘前からの直通運転は行われず、また弘前方面から川部乗り換えで黒石に向かう際、それまでは国鉄の通し料金だけで済んでいたものが、黒石線6キロの乗車のために国鉄+弘南鉄道の料金が必要となり、利用は低迷。わずか14年後の1998年に廃線となった。残ったホームは黒石線のものだ。上記の地図は黒石駅と川部駅を結ぶものだが、直線コースは道路となり、代替バスは今も1日6往復、両駅間を結んでいる

それでも国鉄からの路線譲渡は今も形として引き継がれている。弘南鉄道では、その際に駅舎も新築。それが現在のものだ

駅舎の隣にはぽっかり空き地がある。駅舎新築の際、スーパーを招致して駅とセットのような形となっていたが、スーパーは5年前に撤退。初見だと唐突とも思える縦長の駅舎は、その名残である

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弘南鉄道弘南線を行く~戦前から戦後にかけ23年間の終着駅は大きな駅舎を持つ

※訪問は2025年7月11日

駅員さんの出迎えを受ける

田んぼアート駅から2駅弘前方面へと戻る

到着したのは津軽尾上駅。駅舎へ向かうと駅員さんが迎えてくれた。弘南線も大鰐線と同様、多くは無人駅だが、途中駅にも有人駅があることが大鰐線と異なる点である

こちらはホームから駅舎へと入る際の改札口の様子

ただ後で分かったことだが、駅員さんがいるのは11時まで。私の乗った電車が到着したのが10時52分なので、この日最後のお勤めだったことになる。改札口の写真は無人駅状態になってからのものだ

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渋い忘れ物案内

こちらが改札口ときっぷ売り場。すでにカーテンで閉ざされていた。その右手には

黒板の忘れ物案内。今も利用されているのかどうかは分からないが、現役であることは間違いなさそうだ。定期券の発売も行っているようだ

外に出ると大きな駅舎だということが分かる

鉄路が届いて約100年

津軽尾上駅は1927年(昭和2)の開業。当時は尾上村。間もなく尾上町となり、平成の大合併で平川市となった。弘南弘前(弘前)から当駅までが開業した。当地付近には奥羽本線や川部と黒石を結ぶ黒石線(後に弘南鉄道が引き継ぐが現在は廃線)が走っていたものの、弘前の隣町にあたる現在の平川市一帯は鉄道空白地域となっていた

このため大正期から鉄道敷設の運気が高まり1927年の開業となり、津軽尾上駅は終着駅となった。弘南鉄道のスタートである。弘南鉄道には弘南線と大鰐線があるが、もともとは弘南線のみの路線で、大鰐線は経営難となった弘前電気鉄道という別会社を引き取ったもの。同じ会社でありながら接続駅がないのもそのため。だから路線名も弘南鉄道弘南線と同じ言葉が2つ続く形となっている。同じ会社の路線でありながら、各駅の雰囲気は異なっている

昭和初期の開業で当初はSLによる運行だった。電化は戦後になってから。戦時中そして戦後の物資不足により、石炭の入手が困難になったことが理由で、終戦からわずか3年の1948年に電化が達成された。青森県で初の電車が走った。そして1950年に津軽尾上から黒石までが延伸。現在と同じ形となって全通した。つまり1927年から23年もの間、当駅が終着駅だったことになる。さすがに開業時からの駅舎ではないと思われるが、規模の大きさはそのため。弘南線といえば弘前と黒石を結ぶ路線のイメージがあるが、成立と時期は多少違う

正面からでは分かりにくいので横から見るとこんな感じ。かつてはスーパーが入居していたという

周辺はかつての尾上町の中心部

駅から街が広がる

こちらは駅前の周辺案内図

再び駅舎へ入ると

広い空間が広がっていた

あと2年で100年を迎えるかつての終着駅である

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弘南鉄道弘南線を行く~意外と少ない3種の文字を使った駅名

※訪問は2025年7月11日

独特の時刻表

田んぼアート駅の時刻表。いわゆる「昼間」しか列車が停車しないことが分かる。田んぼアートのためにできた駅なので早朝と夜間は停車がない。いわゆる通勤通学時間帯に用事はないという、なかなか珍しい存在だ。そして冬季は臨時列車を除いて全列車が通過する

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はるばる何しに行ったんだか

駅のホームから展望台が見える。そこは「道の駅いなかだて」。田んぼアートを見るのなら、そこに登る必要があるのだが、結論から先に言うと今回は断念。訪問した7月という季節は田んぼアートが最も見ごろな季節で、2カ月前に飛行機のチケットを確保した時から、もちろんそれは意識していたが、現実にここまでやって来た時点で各駅訪問を優先して時間が足りなかった。ここまで来て田んぼアートを見ずに帰る人は「一部を除いて」ほぼ皆無と思われ「わざわざ神戸から弘前まで何をしに行ったのか」と言われそうだが、鉄オタ、駅オタには優先順位があるのだ

当駅の開業は2013年(平成25)で、弘南線の中では最も若い。というか大鰐線の石川ブール前駅の開業が2002年なので、弘南鉄道の中では最も新しい駅だ。単式ホームと待合所のみの簡素な構造。待合所も吹きさらしだが、冬季休業なので問題はない

駅名標をよく見よう

当駅の注目ポイントは駅名である

田んぼアートと漢字、ひらがな、カタカナの3種類の文字をほ使用しているが、このパターンは意外と少ない。もっともこの適用には「ケ」「が」「の」という「日本語ならではの強力な援軍」がいて、有名な駅では「つつじヶ丘」「ユーカリが丘」「有明テニスの森」「柏の葉キャンパス」など、それなりに駅はあるが、援軍抜きだと一気に希少価値が上がる

抜けがあれば申し訳ないが私が調べたところでは最も有名な駅は京王線の「京王よみうりランド」(東京都)があって、その他では岡山電気軌道の「東山・おかでんミュージアム」(岡山県)があるぐらいだ。岡山電気軌道の停留所は平成になって改名されたので、ふだん目にすることの多い「よみうりランド」は鉄道的には昭和から稀有な存在だったことを今になって知った

もうひとつの最寄り

さて当駅にはもうひとつの最寄り駅としての顔がある

これは田舎館駅にあった張り紙で私もこの時、初めて知ったのだが、当駅はJRAウインズ津軽の最寄りでもある。「一部を除いて」と記したのはこのためだ

ウインズならば、8時台から17時台までしか列車が停車しなくても問題はない。もっとも冬季休業駅なので有馬記念の日は当駅から行けないし、冬季休業の混乱を避ける意味でも田舎館駅に張り紙があるのだろう。そもそも訪問日は平日だったので、競馬目当てで電車でやって来る人がどれぐらいいるのか私には分からない。競馬目的の客が多いのであれば、冬季も競馬開催日は列車が停車するはずだ。ちなみにウインズ津軽のHPを見ると、駐車場のスペースは2032台となっていた

ホームからの景色は見渡すばかり農地である。ぜひ次回は時間を設けて展望台から一望してみたい

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弘南鉄道弘南線を行く~徒歩30分の表示にビビるも実はあっという間

※訪問は2025年7月11日

本日2度目の徒歩移動

今回の弘南線訪問で「ぜひもの」はこれから向かう田んぼアート駅である。開業の季節、時間に制約があるからだ。理由は想像がつくだろうが、田舎館村の名所である田んぼアートは、当然ながら冬場はやっておらず、最寄り駅も休み。早朝や夜間は田んぼアートを見ることができないので、列車はすべて通過する。3月に弘前を訪問した際、大鰐線を最優先したのは、間もなく廃線になるという事実はもちろん大きいが、田んぼアート駅に電車が停車しないことも大きかった

次にいつ弘南線に乗車できるか分からない以上、せっかくやって来た7月という季節に訪問するしかない。今日中に全駅訪問できるかどうか微妙なので、最優先は田んぼアート駅となる。そして田舎館駅からは徒歩移動

「田舎館駅は村の中心部から外れているので目立つものはない」と前記事で記したが、こちらは地元農協の倉庫だと思われ、他にも

倉庫が目立つ。それらを尻目に出発である。歩くのは1時間に1本というダイヤもあるが、駅間距離がわずか400メートルしかないので当然の徒歩だ

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アプリにぼう然も

ここは当然歩く予定だったので、事前に徒歩コースを調べることにした。しかし地図アプリによると「所要時間30分」。自分の予想の倍以上の表記にめまいがしそうになった。そんなことはあり得ないのだが、線路と道路が全く並行していないこともあり得る。途中で川を渡るとか。ということで弘前から田舎館へと向かう車中の田んぼアート~田舎館の1区間は車窓を凝視。車内はガラガラだったが、先頭近くで立ち、右側、左側の両方をチェック。結論は「30分もかかるわけないだろう」というものだった

何のことない。グーグル先生によると、わずか10分である。最初に見たアプリは国道をアンダーパスする徒歩ルートが認識されていなかったようだ。確かに日が暮れると人や車の気配は全くなさそうなコースではある

足取り軽く現地へと到着

ということで倉庫群近くの踏切を渡り、歩を進めていく。所要時間30分が10分に短縮された(というか元から10分なのだが)ので足取りも軽い

どんどん進んで行くと駅が見えた

踏切を渡ってすぐホームに入るのだが、その向こうには展望台が見える

冬季そして朝夕はすべての列車が通過するということは、つまり駅周辺には何もないことを意味する。それなりに民家があれば、田んぼアートを行っていない冬でも列車は停車するだろう。広大な田んぼがあってこその田んぼアートである

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弘南鉄道弘南線を行く~「いなか」の駅舎に入って出会う目を見張るアート

※訪問は2025年7月11日

小休止から再び活動

ホテルの部屋で40分ほど休んで弘前駅へと戻ってきた。夏場でもあるので、たかだか40分といえども貴重な時間である

約30分、電車に揺られて田舎館駅に到着である。朝から大鰐線の駅を回ったおかげで、弘南線のすべての駅を回れるかどうか微妙なところなので、優先順位をつけての駅巡りとなったが、ここ田舎館とお隣の田んぼアートについては「ぜひもの」だろう

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「えっ」と思う駅名だが

当駅は島式ホームで列車交換可能な構造。夏らしい雲も印象的だ

立派な駅舎へは構内踏切で向かう

開業は1950年(昭和25)。弘南線は1927年に弘前~津軽尾上が開業。当時は非電化路線だった。戦争を挟んで電化され、1950年に黒石まで延伸された全通。その際に田舎館駅も開業した

駅名は田舎館村からのもの。明治の町村制施行からある自治体で、その後合併はあったものの、今も田舎館村である。村にあることも加え「田舎」という文字に一瞬「えっ?」と思ってしまうかもしれないが、「稲」つまり「イネ」に由来しているとされ、江戸時代から地名は「田舎」だった。今の意味とは異なる。「館」は有名なところでは「大館」「角館」など、東北地方で多く見られる地名だ

村内で有名な駅は奥羽本線の川部駅だろう。五能線の乗換駅としての知名度が高い

当ブログでも2年前に紹介している。明治以来の駅舎がなくなるということで、押っ取り刀で駆けつけ、窓口で青春18きっぷを購入。今にして思えば、こんな形で「どこかで使うので、とりあえず買っておこう」と18きっぷを購入することはできなくなった。川部駅のみどりの窓口は私の訪問から2週間後に姿を消した。この時の記事では「村にある貴重なみどりの窓口」と紹介している

ただ川部駅も田舎館駅も村の中心部からは、やや離れた場所に位置する。イメージとしては川部駅と田舎館駅の間に中心部がある

駅舎に入ってビックリは確実

ふだんは駅の情報を事前に収集しない私だが、今回についてはその後の徒歩も含め事前に調べる過程で分かっていただけに、見出しの通り「確実に驚くだろう」としておく

こちらはホームと駅舎を結ぶ出入口。そして

こちらは駅舎の様子。いつからのものか正確に知ることはできなかったが、おそらく1950年の開業以来のものだろう。街の中心部から離れている分、周辺にはあまり見当たるものがないのでクラシックな駅舎が目立つ。昭和の終わりごろから無人駅となっている

この古典ぶりを目にした後に駅舎に入ると

中はこんな感じ。まさにそのような表現しか見当たらないが、地元のアーティストの方によるアートで埋め尽くされている。天井、壁そしてイス、ゴミ箱まで。これこそ事前に知ることなく、いきなり出会って腰を抜かしたかった

もっとも、この記事を読んでくださっている方に「行くとビックリしますよ」と伝えても今さらなのだが、それでも訪問の価値は必ずある駅だと思う

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