大川平駅

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~名残を惜しんで次の駅へ

※訪問は2026年7月15日

この景色は最後

あらためて大川平駅ホームからの景色。手前にかすかに見えるレールに気づかなければ、一体何の景色か分からないだろう。しばらくたたずんでいたい絶景だが、そろそろここを離れなければならない。今回巡るどの景色もそうだが、現役の鉄道駅という意味では、すべてが私にとっては最後のものとなる

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ちょっと気になるもの

駅を離れようとした時、ちょっと気になったものが2点ほど

道路と駅の敷地にある柵と小さな切れ目。切れ目というより、ここが入口だ。1958年(昭和33)から、当駅はずっと無人で、なおかつ旅客専用だったと思われるが、妙に気になるこの幅は、車の誤進入を防ぐためのものだろう。そして鉄道会社にとっては、ある意味便利で、廃線後は、この小さな切れ目にチェーンやロープを張るだけで事足りる。あくまで人だけを通れるようにするためのもので、まさか人を通せないようにするため都合の良い存在になろうとは、さすがに鉄道会社も想像だにしていなかったに違いない。少し悲しい

そしてもうひとつは駅を出たところにある電話ボックス。現在の日本では災害時対策として駅など「人が集まる」場所には公衆電話が置かれることになっているが、こちらの処遇はどうなるのだろう。おそらくというより、間違いなく利用者は現状ゼロだと思われる。大都会の公衆電話もおそらく利用状況は似たようなものだと思われるが、駅がなくなることによって、ここは「人が集まる」場所ではなくなる。そもそも列車が走っていた時ですら1日わずかに5往復。どのぐらいの人が集っていたのかは定かではないが、すっかり自然に戻りつつある駅のホームと同様、緑の襲撃を受けている

この記事を読んでおられる方のうち、果たしてどのぐらいの方が公衆電話を利用したことがあるかどうかとなると「1度もない」と答える方が、もはや多数を占めていると思う。1995年の阪神淡路大震災の時に公衆電話を求めて長蛇の列に並ぶ1人だった私には、やや寂しいことだが、かくいう私も震災の1年後に四国に転勤してからは、公衆電話を利用した記憶はない

荒馬の里

バスの停留所へと戻る

荒馬の里とある。昨年バスの車中からこの看板を初めて見た時、一体何のことだろうと思った。イラストに馬が描かれている。この地域では暴れ馬を飼育する伝統があるのかと思ったが、恥ずかしいほど全く間違っている

「荒馬」は「あらま」と読む。馬役の伝声と手綱をとる女性がペアとなって跳ね踊る今別町の伝統芸能で、田植えが終わった時に田んぼの神様に感謝する行事。毎年夏に盛大に行われる。地域ごとに跳ね方に違いがあり「今別荒馬」「大川平荒馬」「二股荒馬」の3つがあるという(ここまで調べて鉄オタの私はすべて駅名だと思ってしまった)。もともとの由来は騎馬や農耕馬にあるようだが、実際に馬は登場しない(なお今別町のHPによると資料館は施設老朽化のため、今年3月で閉館した)

プレハブの停留所の向こうには商店があった。この日はお世話になることはなかったが、ローカル線の旅ではしばしば地域り店舗のお世話になる。いつの間にかコンビニに慣れされてしまった身には貴重の場である

代行バスがやって来た。1年前と同じくワゴン車の2台運行である。私のほかにも地元の方が1人。次に目指すのは大平駅だ

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不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~溶け込む山の景色と子どもの声

※※訪問は2026年7月15日

集落の外れにたたずむ

代行バスを大川平の集落で降りる。肝心の大川平駅は、やや離れたところにある。距離にして100メートルとちょっとだが、あらかじめ場所を把握しておかないと、このメインストリートからは分かりにくい。駅と停留所の場所はわんタクのHPなどで確認できるが、目指すのは停留所ではなく駅なので、携帯アプリという便利な武器がある。列車が来ることはないが、形の上では現役の駅なのでアプリが場所を教えてくれる

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泣き声を聞きながら

道路を右に折れると突き当たりが駅である。白い駅舎が見えてきた

すると、ここで近所の家から子ども大きな泣き声。不意の出来事にビックリしたが、時計を見ると8時前。夏場で家の窓は開放的になっているようで、どうも学校に行くのをグズッている感じだった。地方に行き、奥に入っていくに従い、小学生に出会う比率が減っていく。その意味では元気なお子さんがいることは大変結構

「おおかわだい」とひらがなで書かれた大川平駅に到着である。ホームがあって、その向こう側は農地。集落のやや外れに位置している

レールもすっかり埋もれ

単式ホームにコンクリート製の駅舎がある。ホームの前はもちろん線路だが、2022年8月の豪雨被害から4年近く列車が来ていない線路はすっかり草に埋もれている

逆側を見ると、草木はすでにホームにも侵入しつつある。冬場は雪で覆われる近辺だが、雪のない季節にこれだけの成長を遂げるのだから、自然に帰るパワーは凄いと実感させられる

きれいな駅舎内

コンクリート駅舎に入る。大川平駅は1958年(昭和33)の開業。津軽線は1951年に青森~蟹田が、1958年に蟹田~三厩が開業。不通となっている区間は、後に開業した部分である(蟹田~中小国信号場までは貨物列車は運行)。昭和30年代の開業とあって、駅舎も当然のようにコンクリート製である

駅舎内はきれいに清掃されている。ここには列車はもちろん、代行バスも来ないが、待合室は廃線の日まで現役である

昨年も各駅で見たが、不通となった時からの時刻表がそのまま掲げられている

ふと見ると私が降りた停留所までの道案内。合わせて250メートルだから、かなりの距離だ。この駅に列車は来ないにもかかわらず、停留所への地図があるのは、地元以外の人がこの駅まで来てしまった場合に停留所を求めてウロウロせずに済むようにだろう。逆に言うと、私のように停留所で降りて列車の来ない駅まで来る人間は、超一部の「同業者」を除くと皆無なんだろう

ホームからは津軽の山々が見える。なかなか壮観だ。写真を見て今気づいたのだが、このあたりはまだレールが見えている。ただ当地を訪れてから約1カ月。すでに埋もれているかもしれない

待合室に掲げられた駅名標。一見、電灯式に見えなくもないが、確認する方法は私にはなかった

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不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~昨年と同じ行程で早朝の青森駅から

※訪問は2026年7月15日

人もまばらな朝6時の青森駅

朝6時の青森駅。昨日の夕刻に到着した時、多くの人が往来していたが、ほとんど人の姿は見えない。1年前と同じ光景

今年も津軽線の不通区間を訪ねる。そして来春にこの区間は正式に廃線となるため、これが最後の訪問となる

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昨年と同じ行程

手元には北海道&東日本パス。これも昨年と同じだ。ひとつ異なる点は、昨年は東京から延々と東北本線→IGRいわて銀河鉄道→青い森鉄道と乗り継いできたが、今年は空路仙台まで飛んだので、きっぷの調達は仙台駅で。ただし青森からは同じ行程となる

昨年は中小国駅、今別駅、三厩駅を訪れた。不通区間にあるのは7駅で、津軽二股駅はそれ以前に訪問済み。つまり残るは3駅。今年も代行バスと地域乗合いタクシーのわんタクを利用する。わんタクは津軽線沿線の三厩までは北海道&東日本パスを利用できるので、乗車の際の追加料金はかからない。これも昨年と同じ。昨年が3駅今年も3駅の訪問。だから昨年と同じバス、同じわんタクを利用すれば、3駅を訪問できるのだ(もちろん駅での滞在時間は異なる)

津軽線の乗車も当然同じ。蟹田発5時33分で青森着6時8分の列車が、折り返し蟹田行きとなる。6時過ぎの到着だが、この時間から学校に来る生徒さんもいるようで、それなりの下車がある。ただし蟹田行きに乗車したのは私を含め6人だった。昨年の記事を見ると5人となっているが、ほとんど変わらない

蟹田から訪問が始まる

蟹田に到着。ここから先は不通区間となる。線路は先に伸びていて現役だが、これは北海道へと向かうJR北海道の海峡線だ。隣駅の中小国駅で津軽線と分岐する(正確にはその先の中小国信号場)が、旅客列車は原則として走らず貨物列車のみが走る

たから、ここから先へは列車で向かうことはできない

蟹田駅には代行バス、わんタクの停留所の場所が記されている

蟹田駅で代行バスを待つ

早めに順番待ちの小学生とともに乗車する。最初に向かうのは大川平駅

40分ほど揺られて集落の中にある停留所で降りる

こちらがバスの待合所。今の季節というより、冬場対策を感じさせる建物となっている

中には時刻表そして「照明は点灯しません」の注意書き。建物を管理しているのはJR東日本となっている。津軽線が廃線となった後の地元の交通機関については、わんタクと町営バスを統合したものになる。わんタクは元はといえばJR東日本が実証実験を始めたもので、廃線後もJR東日本は地域交通に関わることにはなる

ここから大川平駅へと向かうが、立派な待合所があることで想像ざきるように、ここから駅までは少し距離がある。歩いて行こう

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